ADHDにおける個性と障害の境目と、躾と支援の狭間で生きる子供達

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ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

今日の朝は起きて早々にお絵かきタイムののん太郎。コレ、はじまりますと描く作品が仕上がるまでなかなか机から離れないのん太郎です。「早く着替えなさい!!」って言ってもなかなか着替えず私がプンスカプンスカ怒っていたら・・・・

「ママできたよ!」と、怒られていることそっちのけで完成した絵を見せてくれた。

いったんもめんFamilyと

その仲間たち

シュ、シュール・・・。

そうかママに怒られている中で、こんなにうまい絵を描いていたのか。色んな意味で感心だ。

絵を描くことが大好きなのん太郎。あまり怒りすぎると、こういうのん太郎の良いところを潰しかねないと反省した朝となる。すぐに着替えることよりも、絵を仕上げることの方が大事な時だってある。常日頃からそんな風に思える心の余裕を持ちたいなと思ったのでした。

発達の凹凸に対するアプローチの見極め

さて先週、2度目の5歳児健診の心理士相談を終え

⇒⇒5歳児健診にてADHDグレーゾーンと診断、2度目の心理相談の結果

ADHDグレーゾーンの疑いのまま経過中の我が家の長男(5歳)。今月末には小学校就学時前健診を控えている。

今までずっと、白とグレーと黒の境目ってなんだろうって考えてきたけど、5歳児健診を受けてきたことによって、その境目というものが結局のところ本人の困り具合という結論へと達した。

そんな中、こんなことも考えるようになった。

同じ症状をかかえていても、見て取れるような明確な困難さを周りも本人も抱えていなければ、その発達の凹凸に親がアプローチしなくても、環境次第でなんとなくうまくやっていけるかもしれない。

それに、本人がもともとの生まれもった性質で、あまり人の目を気にしないタイプだったり、群を好まないタイプだったりすると、案外なんとかなる場合も往々にしてあるのではないかと。

のん太郎のようなグレーゾーンの場合、本人もとりたて困っていない&回りもそんなに気にしていない程度で、問題なく日常生活をおくれているような場合は、必要以上に発達の凹凸にアプローチしすぎることで、かえってその行動を表面化しまうことが考えられ、親のアプローチの時期や手段の見極めって難しいなとも、最近は考えるようになった。

もちろん、確実に支援がつくような場合はできるだけ早い時期に支援体制を整えるが望ましい。おそらく、その場合は環境面を整えるだけではなかなか難しいからだ。

環境面での変化を伴いやすいグレーゾーンの子たちの場合、進級やクラス替え、担任との相性などで吉となれば凶にでもなる危うさをもっている。しかし、その危うさってきっとどの子でも持っているよねとも、思ったりもする。

まぁ、それでも人間だれしも得意不得意がある。同じようにいわゆる発達障害のなかにも濃淡があり、グレーの中にも白の中にも濃淡がある。最終的には、人間いずれかにあてはまるんだろうなと思うが、”普通”から遠ざかれば遠ざかるほど生きにくくなることは確かで、母としては”なるようになるさ!”とは、なかなか言い難い状況である。

さて、本人の困り度という面においてのん太郎の場合はどうだろうか。

長男(5歳)、本人の困り度はほぼゼロ。のん太郎よ、少し困ってみたらどうだろう?

のん太郎の場合まだ5歳ということと、もともとの性格からか・・・・

本人自身、現時点で全く何も少しのカケラも困っておりません。

いやね、ちょっと困れよって言いたいよ。なんでしょう、もともと細かいことも細かくないこともあまり気にするタイプじゃないんですよね。こんだけ怒られているのに、のん太郎は超がつくほどポジティブシンキングです。

響かない・凹まない・引きずらない。

どーでもいいんですが我が家では、これをトリプルH(エイチ)と呼んでいます。

何を言ってもびかない、すごく怒られているのにこまない、許してもらえた時点できずらない。お願い、ちょっとは引きずって!!!!

障害の診断有無に限らず、一度言えばわかる子、10回言ってわかる子、100回言ってもわからない子、101回目でわかる子。

それは本当にそれぞれで。生まれもったものも大きくて。育ててみなければわからないこともたくさんあって。今は、その全てが子育てなんだとわかるけど、それがわかるまでのあの手探りの中の葛藤、しんどかったなぁ~。

私ね、思い返してみてもホント色々あったわ(笑)

のん太郎の思い立ったらやらないと気が済まない気質はもう2歳ころからでていて、今よりもずっとその傾向が強かったと思う。

のん太郎の好奇心、それはおさまることなく3歳を迎える。

当時、こんな事があった。のん太郎が3歳半くらいの時、夏は浅瀬のじゃぶじゃぶ池になる公園へ4組のfamilyと遊びに行った時のこと。

その日は11月下旬、紅葉が色づき始めていた。

その公園のじゃぶじゃぶ池は、夏が終わっても立ち入り禁止にはならないが、もちろん寒くて誰も踏み込もうとしない。

今はもうさすがにやらないけど、その公園へ行こうと決まった時から私は”きっとのん太郎はその池に入るだろうな”と思ってた。まだ3歳、夏に遊んだ楽しい思い出のある池に、秋だからといって入らない男ではないと思ってた。

だから、着替えと靴の替え、そしてバスタオルをリュックに完備していた。

その頃から、外出時でののん太郎を叱る基準は”人に迷惑をかけていないかどうか”だった。それ以上のものを、彼には求められなかった。そうでなくても、家の中でのん太郎と衝突することが増えていってた時期でもあった。

公園に到着し、一緒に来ていた他の子たちはみんなその寒々しい池を避けて遊具を楽しんでいたんだけど、のん太郎は寒々しい池に果敢に挑むわけですよ。池に設置された飛び石。そこを忍者のように飛んでいくんだけど、足を踏み外したら池ポチャ。早々に失敗するのん太郎・・・。

案の定、すっかり下半身はずぶぬれとなり、わざと池ポチャしたり楽しそうに遊んでいる。最終的には、寒い寒いと言ってようやく池から出てきたことがありました。

秋の池は夏とは違い冷たい。服がぬれたら寒い。それを3歳なら3歳なりに身をもって知れば良いと思ってた。なんなら着替えは全とっかけ可能だ。秋の池にはまったくらいで命を落とすわけでもなければ、だれかに迷惑をかけているわけでもない。(私は、大迷惑だが)

しかし、まわりの目というものは違ってた。

その公園へはパパも含めて行ったので、けっこうな大人数。みんな第一子女児だったせいか、より一層のん太郎の行動が信じられなかったんでしょうね。

こんなことを言われました(笑)

よくそこまで許すね、優しいね。と。しかし、まだ言葉は続きます。

うちだったら、絶対入らせないよー。本当に美羽家は心が広いね!と。

これ、褒めているようで違うんですよね。それに・・・・

うちもわんぱくだと思ってたけど、そこまでじゃないわ~。

とも、言われました。

しかし今でも、のん太郎を育てていると、

「うちでは、考えられないわ!子供の行動をそこまで許して心が広いね、優しいね」とか

「子供に合わせてあげられて偉いね。うちでは無理だわ」

こんな言葉を言われることがあります。

そういうこと、大変な育児をされている親御さんは言われたことなかったですか?

ある程度こちらも譲歩しないと、そのあとの方が大変なことが容易に予測されるから譲歩せざるおえないことも、多々あるんですよね。

私は、それは甘やかしとは違うと思っていて、今はそれを堂々と甘やかしているわけじゃないって言えるけど、まだまだ手探りの段階だった当時、自分のこの許すという行為が本当は正しいのかそうじゃないのか、うまく自分の中で折り合いがつけられない時期もあった。

悪気はないんでしょうけどね。けど、私はそれらの言葉を自分は絶対に言わないようにしようと心に誓った時期でもありました。私もこうして、のん太郎に教わっているんです。

今ではキッパリと

「うちは人に迷惑をかけていないことは大抵許すことにしてるの。何か誰かに迷惑かけたならその時は言ってね。」

と言うようにしてます。にこやかに言うのが最大のポイントです。あはは!

ちょうどその頃からのん太郎に手がかかりはじめ、私のブログも一時止まっていた時期でもあった。

これが、ちょうどその頃の日記で今日という日をやり直したい

初めてのん太郎の育児が大変と打ち明けた日記となる。

これを書いたのがちょうどのん太郎が3歳半。

”大変だけど可愛い”だった育児が
”可愛いけど大変”に変わり・・・

と、綴っている。

当時のコメントさんを改めて読むと、これまたずっしりとくる。その節はありがとうございました。あれから2年半、みなさまの育児に何か変化はございましたでしょうか。

きっと私、この頃からきっと怒涛の日々だったんだろうね。この日記から半年間も日記の更新が止まってる。そして・・・その半年後に綴ったのがこちら戻ってこない日々こそが

ずっとずっと間違い探しをしていた。

自分の育児、どこから間違っていたのか。

自問自答するも答えなんてなく

苛立ち、その心の余裕のなさの矛先は息子だった。

幾度となく息子の寝顔に謝った。

と綴ってる。このころはまだ寝顔に謝れてたんだと、振り返る。

そこからの4歳~5歳反抗期、私は寝顔すら謝れなくなっていた。そして5歳半、今は嵐の前の静けさなのかわからないが穏やかな日々が続いている。

アホすぎるのん太郎が、心底可愛い。

昔の日記を改めてよむと、その当時の自分の未熟さ、のん太郎に必要以上に”ちゃんと”を求めていた自分が情けない。穴をほって埋めてしまいたいくらいだ。

全然寝なかった0歳。言葉が早かった1歳。形ある物を組み立て始めた2歳。

今思えばその全てにのん太郎らしさが詰まっている。

私に色んな感情と想像をはるかに超える試練を与えてくれるのん太郎。

今は前より、共に歩んでいる気がしている。

いつもありがとう。

美羽

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コメント

  1. アバター めがね より:

    迷惑がかからない範囲は許し、子供目線に合わせてあげられる、みうさんはとても素晴らしい母だと思いました。
    躾やルール、常識を教えて行くことも大事かもしれませんが、のんたろうくんにはきっと正解だったのではないでしょうか。特技がグングンと伸びている印象を充分に受けます。

    俳優の濱田岳さんのインタビュー記事で印象に残っていたエピソードがあります。
    彼自身、幼少期はかなりのワンパクで、おそらく親御さんも手を焼かれたかと思われるのですが、お父様は気にすることなく高級レストランに連れて行き、お店のカーテンで遊ぶ姿を咎めなかったとの事でした。
    (個室だったか覚えがありませんが、お店の人にはきっと迷惑だったでしょう)
    賛否はあるでしょうが、ありのままをそのまま受け入れてもらえたことによって、演技の幅に繋がったとら語られていたと思います。

    のんたろうくんの芸術面の豊かさを育てられているのは、みうさんのそんな受け入れ方があるからではないでしょうか。憶測ですが、もしもそれらを律していたり抑えつけていたら、今ののんたろうくんはいなかったかもしれませんね。善し悪しはあるかもしれませんが、ぶれない意志の強さ・自信はそういった積み重ねからできているのではないでしょうか。もしも人間関係でぶつかることがあれば、その時初めて理解して変化して行くのかもしれませんね。

    みうさんが育児書から習っているのではなく、ご自身の考えでなさっていること、本当に尊敬します。

  2. myu7 myu7 より:

    めがねさんへ
    いつもあたたかなコメントさんありがとうございます。
    今まで育児書もたくさん読んできました。叱らないこそだてやら、褒めてのばす子育て。男の育児・・・等々。けど、規格外ののん太郎にはどれもぴったりとあてはまるものがなかっただけなんです・・・。
    浜田さんのエピソードも興味深いです。ありのままを受け入れるって、それも勇気がいるなと思ってます。素晴らしいご両親だったんでしょうね。
    今月末には、就学時健診を控えてます。ひやひやです。

  3. アバター りょう より:

    いつも本当に見習いたい!と思ってますが、わたしはまだまだです…。
    うちの息子は4歳になりました。小さな頃から、心が広いね、よく黙って見てられるね、凄いねってよく言われます。
    子供は自分の親を選んで生まれてくるといいますが、うちの息子に選ばれなくてよかった、って言われたこともあります。
    なので、我が家も小さな頃から色々と疑いの目で我が子を観察しながら過ごしてます。
    のん太郎くんのように天才肌な部分は我が息子には全く無く…。まだ彼の得意なことを見つけてやる事ができてません。私も仕事が忙しく、なかなか色々なことに挑戦させる事ができでないからかな、と反省して5歳までに挑戦することを経験させたいってのが私の目標です。
    ただの落ち着きないヤンチャなのか…それとも…って考える日もありますが、保健師さんや保育園の先生方にはそれは違うと思います、と即答されるとホッとしたり。
    みうさんのブログ本当に参考になるというか、気づかされる事が多すぎます!!
    いつもありがとうございます!

  4. アバター みーとくん。 より:

    みゅうさん…長年ブログを読んでいると自負している私ですが、いつもみうさん…みゅうさん…と自由に読んでいましたw恥ずかしい!w

    でも美羽さんは実名とのことでしたよね
    どなたかに身バレしたことはないのでしょうか……
    「大変だけど可愛い、可愛いけど大変…」
    この言葉、とても覚えています。
    当時はまだ子供ないなかった私ですが、
    きっとこの言葉を忘れまい…と思いながら母になる準備をしていました。
    そして、現在息子一歳10ヶ月。

    どんな風に2歳、3歳を迎えていくのかな…?と他の子と比べたりしながらはじめての育児に奮闘しております。

    私はよく聞くイヤイヤ期とか、
    そんなにまだ大変だとは思っていないのですが、これから言葉を覚え自我がもっと強くなると感じるのでしょうか?
    ほんと、人様に迷惑をかけなければ大抵のことは見守れています。
    これどうなんだろう??と考えています。

    親友の子は今17歳。
    当時はグレーゾーンという言葉もそんなに浸透していなかったので、
    養育を勧められたこともあったそうですが、
    行か機会もないまま17歳になり、普通のクラスで普通に暮らしてきたそうですが
    たぶん、今思えば病名?がつくグレーゾーンだったんだと思う。と振り返っています。
    田舎だからか周りの環境に恵まれていたのか勉強面や学校生活でもそこまで苦労することなく暮らせていたそうです。

    これは苦手だけれど、ここは得意…
    やはりそういう部分があり、苦手な分野で就職をしたり生活をする面では苦労するかもしれないけれど、
    得意な面では何も不自由なく彼の場合は暮らせるんだわ…と話しています。
    私は部屋が汚いこと、片付けられないことがとても辛いなのですが
    親友は子供の部屋が汚くても、片付けられなくても整えることが苦手な子でも
    そこは別に気にしない…という母だったからのびのびと彼は育つことが出来たんだろう…と親友の子を見てつくづく思います。

    何が言いたいのか文章力がなくて上手く伝えられないのですが
    ほんとみゅうさんの仰る通り本人が困っていなくて、その母もまた悩むところがあるとは思いますが、その子の良いところと苦手なところをちゃんと理解していて人様に迷惑をかけずに暮らせるなら、
    それが一番なのだ…と思います。
    私もそんなふうにこれから子育てをしていきたいと思っています。
    これからも大好きです。
    新ドラマ始まりましたがみゅうさんは何推しですかー?
    私は黄昏流星群と一応、ガッキーと阿部寛見ちゃってますーww

  5. アバター はるママ より:

    みゅうさーん☆
    今日の記事最高!
    そうなんです!
    子育ては私と子供達。
    他人さんの目を気にし過ぎないことが大事だな、って思いますよ!
    もちろん、社会のルールを教えたりしながら、ですが、全てみんなと同じでなければならない、ってのはめちゃくちゃ窮屈ですよね!
    私も実は小さい頃、破天荒で母を困らせたみたいです 笑
    雨上がりが大好きで、増水した溝に足を突っ込み、長靴を水一杯にしてチャポチャポ歩いたり、畳んだ傘の隙間に水を溜めて、ぷっくぷくに膨らんだ傘を持って家に帰ったり、そりゃまぁ、ご近所には頭のおかしな子と言われ、母は恥ずかしい思いをし、幾度となく罵倒されましたよ。
    でもね、小さいうちにたくさんたくさん好奇心を満足させられて、やっていいこと、悪いこと、まわりからどんな風に見られるか、をいっぱい経験できたから、今、社会の常識ってものがよく分かるようになったし、セーブも出来るようになったと思ってます!
    勉強も全く出来なかった私が、中学でメキメキ伸びたのも、脳みそシワなしガールだったから、ヤル気が出た時に深くシワが刻まれてどんどん吸収出来たんだろうな!って 笑
    だからね、なんとかなる、んじゃなくて、子供時代に満たされた子は、なんとかする力を身につけているんだと思って☆

    犯罪とかいじめとか、絶対にやっちゃいけないことはしっかり注意しながら、人様に迷惑をかけないで出来ることなら、気が済むまで、ママのイライラの手前まで、はやらせてあげたらいいんじゃない?って。
    ママも、無理したり我慢しながらやらせるんじゃなくて、嫌な時はイヤ!って子供に言ってもいいと思うんだ☆
    出来ることならお互いにストレスフリーで楽しんじゃえばいいかな?って。

    私も最近色々悩んで落ちてたけど、くよくよしたって、結局は前に進むしかないんだし、一度しかない今を、少しでも多く楽しみたいな、深く味わいたいな、って思ったよ!
    これからも落ちたり上がったり、するだろうけど、2度と会わないかもしれない他人さんや、いつかは離れてく(別々の道を歩んでいくって意味で)ご近所さんや、ママ友達を必要以上に気にし過ぎず、ナチュラルに、自分らしく子育てして行こうって決めたよ!

    あー、ほんとさ、いつか子育てお疲れさん会でもしよ!ビール片手にさ!笑