6歳の長男に精神薬を投薬する選択の是非、母として出した結論と現実

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こんにちは!みゅうです。

ADHD薬『コンサータ』、長男6歳には全く合わなかったその結果・・・

この日記の続きです。

投薬をすることを決意した背景

全く合わなかったコンサータをやめて、次に提案された薬が『エビリファイ』だった。

1㎎から投薬を試す医師もいるが、のん太郎の担当医は3㎎からの提案だった。それに私もすぐにd納得した。多くの親は、6歳の子に投薬なんて!と思うだろう。私もずっとそうだった。

投薬を迷っていた時期は、投薬に対しての後ろめたさ、親である私がもっと我慢すればうまくやれれば・・・という感情、のん太郎に対してもかわいそうと思う気持ちが強かった。悩んで悩んで悩んだ結果、私は投薬を決意した。

だから受診の時には、のん太郎の癇癪を止めるにはもう投薬しかないと、私はそんな結論にすでに達していたんだと思う。のん太郎本人も親である私も彼の”怒り”というものを止めることができない段階にきていた。

彼の命を守るためにも投薬が必要だった。

だから今でも投薬に関し後悔はない。

命を守ること。そして、もう一つ。

投薬をすることで安定した学校生活を送れるようにすること、それも大きな目的の一つだった。

成長すればいずれ、この癇癪もおさまるかもしれない。

その時期を見て学校に行かせ、今は学校に行かないという選択肢があるのかもしれない。

しかしながら、いざ自分の子どもが”不登校”という現実に片足を突っ込もうとしている今、私は『学校にいかなくてもいいよ』という言葉をかけてあげることが正しいのか正しくないのかも、正直よくわからなかった。

よく”休ませてあげることで、次の日元気に学校へ行けることがある”

とか

”休ませることで、休んでもいいんだって思えそれがあるから学校へ行ける”

なんて言葉をよく聞く。

けどね、実際にいざその場面に直面すると、本当に学校を休ませることでその選択が次に繋がる保障なんてないし、むしろこれを機に学校へずっと行かないという選択をさせえてしまうんじゃないかと、恐怖心が生まれる。

『学校へ行かなくてもいいよ』って、そんな簡単に言える言葉ではないと思っていた。

不登校の原因が、イジメや学校側の問題などが原因であったならまた話は変わるが、のん太郎の場合、のん太郎自身の問題であり、私はのん太郎は学校へ行くべきだと思っていたし、それは義務教育だからであり、いくら癇癪を起して遅刻をしてでも連れて行った。

実際、のん太郎は友達にも先生にも他の学年やクラス先生にも恵まれていた。担任の先生は、常にのん太郎の逃げ場を作ってくださっており、気持ちの乗らない時は、教室の一番後ろで授業を聞ける席を作ってくれた。

教室から出ることは絶対にダメだけど、どうしてもいやなことがあって席に座ってられなかったら、一番後ろにいていいんだよって声をかけてくれていた。

そんな学校を私は信頼していたし、ここにのんたろうを預けることになんら迷いはなかった。

5月は、嫌なことがあると授業中教室の外から出てしまう時もあった。何度か一番後ろの席に座ってクールダウンする時もあった。6月は、遠足の同行をお願いされたりもした。

それでも7月になり、後ろの席に座ることも、授業中嫌なことがあっても教室から出ることはなくなった。もちろん2学期もその調子で!なんて保障はどこにもないけど、1学期は明らかに彼が頑張った成果があり、それを彼自身も感じることができた。

1学期を通して担任の先生とのやりとりの連絡帳は最後のページとなり(ほとんどの親は連絡帳じたい書く事もなかったと思うけど)毎日、毎日、細かく担任の先生とのやりとりは続き、時には電話をし、時には直接学校に行ったり、常にのん太郎の状況を把握できるように学校が支援をしてくれていた。

そして夏休み2週間ほど前くらいに担任の先生より

「これからは、何かあった時に連絡帳を書くようにします。のん太郎君、とても頑張っていますので、しばらく安心して見守っていきましょう」

と、連絡帳に記載があった。私は感謝してもしきれないくらいだった。

この先生がいたからこそ、この先生が担任の先生だったからこそのん太郎は学校に行くことができたと、そう思っている。

もしかしたら投薬をせず、癇癪が起きた時は学校に行かないという選択をする。そんな選択肢ももちろんあっただろうが、私は投薬をすることで、安定して学校に通うことができ、席に座っていられ授業を受けることができるのであれば、投薬という治療の有効性は非常に高いものだと思っている。

学校へ行かないという選択をした場合、子の人生を大きく変えることになる。投薬は、良き主治医に出会えばうまくコントロールしていくことができる。それまでの親の負担は計りしれないが、子が少しでも生きやすい人生を歩めるのなら、私はなんだってするしなんだってできる気がする。

今は、どうか2学期も安定した学校生活がおくれることを願ってやまない。

特別支援学級の選択

特別支援学級の選択は?支援級の方がのん太郎自身、安心できるのでは?とコメントさんで頂いだいたが、

これはあくまで発達障害児を育てている私の結論だんだけど、

知的の遅れを含まず、IQが通常学級で行けるのであれば、自傷他害をある場合を除きまずは通常学級からスタートを考えていくべきだと思う。支援級でスタートした場合、通常級への移行はななかか難しい。

のん太郎は、普通学級で行けるのか?ともちろんのこと、思っていた。だから自分でも色々調べていたが、のん太郎の学校の支援級はIQが75以下と決まっていて対象にはならない。

そもそも支援級は考えてはいなかったけど、のん太郎のようなタイプはどうやってこの先『学校』というものに向き合っていくべきか相当悩んだ。

支援級を選択した場合、その後の人生を親が覚悟しなくてはならない。

のん太郎の住む地域の場合小学校を支援級で卒業した場合、中学まで支援級でいけるが高校進学が難しくなる。

けどのん太郎も、発達障害がこの先もしも色濃くなっていったら・・・

”障がい者として生きる道を選択させるべき”か、

”生きにくくても他の人と比べると”ちょっと変わった人”というような類で生きる”か、

そんな選択をする時期がいつか来るのかなと漠然と思ったりもする。

普通の小学1年生からしたら、のん太郎は”ちょっと変わった子”かもしれないが、彼が少しでも生きやすくなるよう、色々なことを学び得ていって欲しいと常々思っている。

次回:

☆エビリファイ服用後ののん太郎の様子

☆知能検査(ウィスクⅣ)の結果

☆療育(見学にいった感想)

☆通級(2学期からは通級に通いたい!)

いつもありがとう。

美羽

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