5歳児健診にてADHDグレーゾーンと診断、2度目の心理相談の結果

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ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

最近、また暖かい日々が続いていますね。いかがお過ごしでしょうか?のん子が急にパンダしゃんを見たいと言うので、上野動物園へ行ってきます。お時間がある時に、今日もお付き合い頂ければ幸いです。

コメントさんのお返事が遅れております。すみません。本当にいつもありがたく読ませて頂いております。ゆっくりとお返事をさせてくださいませ。

5歳9か月、2度目の心理士相談を受ける

さてのん太郎ですが、先週の半ばにADHDを疑われた病院を受診。2度目となる心理士相談を受けてきました。

ブログでも予告していましたが、発達の凹凸がわかる知能テストを受けるために行ったのですが、結果的にはテストをせず帰宅となりました。正直、私としてはテストを実施して頂きたかったのですが、心理士の先生の判断によりテストは持ち越しとなりました。

14時に予約をしていたのん太郎。しばらく待合い室で過ごしたのち、前回と同じ和室の部屋へと通された。

先生は3種類のテストを並べ、待っていてくれた。この時点では心理士の先生自身も、テストを実施する予定だったんだなと、今になって思う。

その3種類のテストの内容としては・・・

1、のん太郎の住む区が推奨する区独自の知能テスト

2、5歳以下の幼児向けであるというテスト

3、一般的な知能検査であるWISC検査(ウィスクラー式知能検査)

以上の3つ。3つのうち母親である私と相談し実施する予定だった模様。

3つのテストの内容の説明をひとつひとつ受ける私。心理士の先生が言うのは、今の状況が一番よくわかるのはWISC検査(ウィスクラー式知能検査)であるとのこと。

一般的にこの検査は5歳から16歳まで実施可能のはずだが、担当の心理士の先生はこのテストは6歳になってからの方が望ましいと言い、かつ一度行ってしまうと内容を覚えてしまい正確な結果を導きだせない可能性があるため、最低でも1年は間をあけないといけないと。(先生によっては、2年以上という先生もいらっしゃいます)

よってこのWISC検査(ウィスクラー式知能検査)を実施する時期は慎重に見極めたいと。また、このテストの結果を親の判断で小学校の担任へ報告することもできるため、のん太郎の場合は就学ぎりぎりか入学後おちついた5月くらいにやるのはどうかと提案される。

まずはとにかく6歳になってからが望ましいとのことだった。

先生からの説明はまだ続く。のん太郎を見る限り、知的な遅れは感じないと。むしろ問題の内容に関しては、平均より上の結果が出るのではと考えていると。

私ものん太郎の知的面での心配をしているわけではないと伝える。私が心配しているのは、行動面であること、とくにいわゆるADHDの特性にあげられるような衝動性の部分を特に心配していると伝える。先生もうなずく。

WISC検査(ウィスクラー式知能検査)は持ち越しとなったものの、残された2つのテストをどうするか相談。

のん太郎には、迷路や図形の問題をやりにいくんだよ!と話しており、その手の問題が大好きなのん太郎にとって、今日のテストをとても楽しみにしていた。のん太郎は自分で、テストをやりたいと先生に伝えたが、先生も悩んだ結果残り2つのテストも実施せずに終わる。

正直、他の2つのテストもなんで実施しなかったのかわからず、WISC検査(ウィスクラー式知能検査)は現時点では不向きだとしても、う~ん・・・私はなんらかのテストを実施してもらって今の現状を表面化させてもよかったのになと思うが、まぁとりあえず6歳を待つことになった。

そんな中、迷路だけはやろうか?と、心理士の先生より提案。のん太郎はとても喜んだ。

その迷路、おそらく何かの知能テストに使われるものの一部を抜粋したものであり、一枚の長い紙がきれいに折りたたまれ、一枚一枚ご本をめくるようにして進めていく迷路だった。めくるたびに迷路は難しくなっていく。

先生に赤色の鉛筆を渡されるのん太郎。

わ~い!迷路だ~!と思ったのであろう。すぐにやろうとするのん太郎、早々に先生の説明を聞いてから始めるようにと注意を受ける。こういうところ、本当にいつもののん太郎だ。

その後説明を受け、一門一門、ササッと答えていく。

迷路も色んな種類があった。ゴール地点からスタートへ向かうようなもの、途中必ず通らないといけない場所があるといったルールつきの迷路。

のん太郎、色んな迷路があるにも関わらず、そのたびに一人でやろうとして、その都度、先生に”やり方を確認しながらすすめていきましょう”という声掛けをしてもらう場面が見られた。

テストの難易度はわからないが、とりあえず10問ほどあった迷路の問題は難なくクリアし本人には物足りない様子であった。

10問の迷路を終え、いったんのん太郎はまた一人で遊んでいて欲しいと声をかけられる。紙とえんぴつが欲しいとのん太郎から希望があり、私と先生とが話している間はのん太郎はお絵かきの時間となった。

先生より、たった数分で終わった迷路のテストだが、やはりそこでも衝動性の症状が見られると。

先生の説明を聞かずして、勝手にやりはじめてしまうこと。普通だったら、一度注意されれば次は気をつけようと思うが、のん太郎の場合はその注意がリセットされてしまい、また次の問題となれば、同じように行動してしまう。先生の注意が次に生かされないのだ。そう、注意されていることに対しての継続性がのん太郎はないの。

これを、衝動性というか個性というかは、難しいところだけどどちらにせよ、目の前にある事実は変わらない。

このような場合、本当はその問題が解けるのに、先走って行動してしまうことで、不正解になることもあり、小学校に入って本人が苦労してくるケースがみられると。

また、衝動性タイプの子の行動の一つとして、先生が話している間、まわりは静かに聞いているのに、隣の子に「ねぇねぇ!」と自由に話しかけてしまうことも特徴のひとつと聞いた。

それ、今でもあるあるで、スイミングのレッスン等で先生が全体に向けて指導している最中に、話は聞かないどころか、平気で隣の子に声をかけてしまう場面がみられる。話かけられた子が男のだったらたいてい一緒に話が盛り上がってしまい、一緒にその子も注意をされてしまう(ごめんなさい・・・)。

そんな現状を先生へと話した。

ふとのん太郎に目をやると、私と先生とが話し合っている間、ずっとお絵かきに夢中である。一つのことに熱中するとずっとやり続ける、そんなタイプで生まれてから今まで、何か集中ができないということで悩んだことはないが、それは興味のない事をただやらなかっただけなのではないのかとも思っている。それにまだやる必要性もないから表立ってないだけなのかなと私の不安は募る。

最近は攻撃的な我の強さがだいぶやわらいできたが、一般的なADHDの特性のひとつである”衝動性”についてはまだまだフォローが必要な状況であるなと実感した。

これ・・・小学校でもおさまらなかったら大変だな~・・・・。

心理士の先生は、のん太郎の場合は注意の継続性はないが、その都度注意してもらえれば、できる。衝動性は見られても程度としては、フォローしてくれる人次第で表面化せずやっていけるのではと。つまりは、環境によって大きく左右されることが考えられると。

確実に診断がつく場合は、環境だけ整備してあげても問題が解消されるものではないという。だからグレーなのかもしれない。

つまり理解のある担任と出会い、比較的落ち着いるクラスに当たれば、おそらく大きな問題とならず学校生活を送れるのではと推測されるが、理解のない先生かつ落ち着きのないクラスにあたった場合、環境で大きくされてしまうあやうい一面があると指摘があった。

そう、それはつまりは運!!!

しかし、これはのん太郎だけに限ったことではないと。

今まで保育園や幼稚園でなんとなく慣れた環境・慣れたお友達、能力のある先生に囲まれていたことでその成長の凹凸が表面化してこなかった子でも、環境によってそれが表面化してくる場合もあると。

のん太郎の場合、すでに表面化しているので、とにかく環境が大事だと思う。しかし、こればかりは運であると。クラス分け、担任の先生、思ってた以上に多きく左右されそうである。

そして私は、先生にのん太郎はADHDであるかどうか率直に聞いてみた。

「先生のご経験上のん太郎を見る限り、診断名はつきますか?」と。

心理士の先生は自分は医師ではないので診断をつける立場ではないがという前置きをしたのち

のん太郎を見る限り、ADHDに関しその衝動性という面は否定できないのが現状であると。

初回ほどの驚きはもうない。やっぱりかという印象である。

以前から書き綴ってきたが、

のん太郎は、とにかく気になったものは触ってしまう。触らずにはいられない。

そして、他人のものと自分のものの境界線がうすい。私はそれをずっと気にしており、毎日毎日同じ声かけをしても、できるときとできない時がある。

できる時と言うのは、他に興味がいっているだけで、触らないようにしようと本人が気を付けている印象は残念ながら感じられない。

たとえば、保育園でみんなが使っているリュック。それぞれキーホルダーなどつけているが、お友達に断りなくすぐに触ってしまったりする。

さすがに電車の中などでは見られないが、行き慣れた場所の共同のローカーなどに置かれた他人の私物は躊躇いなく触ってしまう傾向があって、それはまさに”衝動性”。ほんとこの言葉はしっくりとくる。この行動は毎度毎度しっかりと注意している現状である。それでも、なかなかやはり手が先に出る。触っていいかどうか、私に確認したり自分で考えたりする前にどうしても行動が先に出る。

ただ、まだ5歳であるため、今後十分に改善の余地はあるが、これは事前に小学校の面談時に伝えておこうと思っている。

あと、もう一つ。(今日はちょっと話が長くなりますが、心理士の先生から大事なアドバイスを受けたので、最後までお付き合い頂けたら幸いです。)

よくも悪くも、のん太郎は人の話を聞いていないようで聞いている時がある旨を心理士の先生に話した。

のん太郎にこんなことを言われた時があった。

これまたスイミングのレッスンで、プールサイドに座りコーチより生徒全体に向けての指示の際、のん太郎はだいたいプールサイドのタイルの数を数えていたり、ビート版をずっといじっていたり、こちらからすれば全く聞いていない様子にみえるんだけど、いざ家に帰ってみると先生の言われたことが実は頭に残っているといった様子。

こんなことが続いたのでのん太郎に

のん太郎は実は聞いていないようで先生の話を聞いているんだね」

と言った時のこと。

「ママは、いつも僕のことを、人の話を聞いてないというけど、この前のバタフライのレッスンで先生が泳ぎ方を話したことを、ぼくはちゃんと覚えてるんだよ。」

と言い、その後バタフライの泳法を口頭で教えてくれた。

「あの時ママは、先生の話をきいてないと怒ったけど、ぼくはちゃんときいているんだ。」

と、主張されたことがあった。

そんなことが何回かあり、私はのん太郎の見方を少しづつ変えるようになった。案外、わかっているんだなと。それでも、先生の話をきいているとは到底見えない態度なので、私はどう返答すべきかわからなかった。

のん太郎の場合・・・・

1、全く聞いてないようで、実は聞いており、かつその内容を理解している時があること。

もしくは

2、全く聞いてないようで、理解はできてないけど、先生の言葉じたいは頭の中に残っている場合があること。

もしくは

3、全く聞いてないようで、本当に全然聞いておらず、1人だけ違うことをしている場合があること。

正直ね私は今までずっと、のん太郎が人の話を聞いてない様子の時は、その内容じたいも理解していないものと思っていた。

私がそう思うのはしかたがないところもあって、のん太郎さん、先生の目も見ないどころか、自分の手元は動き大抵何か別の違うことをしている。どう見ても指示が入ってるとは信じ固い様子である。

しかし、それは私の大きな間違いだった。

だから、保育園やスイミングの先生の話を全く聞いていない様子ののん太郎を、少し信じてみようと思い始めた。もちろん、他の子に比べ格段に注意の数は多いですが・・・。

そんなことを話した。

先生も、のん太郎を見ているとそんな様子がとても想像がつくと言った。

そして心理士の先生はおもしろいことを言った。

「私は、先生からの指示など、座って目を見て聞いていること(聞いている風)で、指示が通っていると先生側が判断するのは、もう古いと思っている。肝心なのは、その内容を理解しているかどうかでである。」と。

つまりこうだ。極論、指示を理解をしているのであれば、その態度は問わないということだ。

おぉ~斬新!!!そんな世界だったら、のん太郎は生きやすいだろうな・・・。

ただ、そう思ってくれる先生は、もしかしたら少数派かもしれないと。

たとえば、小学校で使うおはじき問題。おはじきを机の引き出しにしまえるまでが、テストの合格とするか、それともテストの問題さえできていればそれで良しとするのか、先生によって分かれるのだと言う。心理士の先生は、無論後者であろう。

しかし”まんべんなく”をもとめられる義務教育。きっとそれは学校での生活面の態度も求められる。やはり苦戦するのは目に見えているが、のん太郎の態度だけで物の理解の有無の判断をしていくのは、やめにしようと思った心理相談であった。

テストはしなかったけど、得たものは大きいように思える。

2度目の心理士相談においても、ADHDグレーゾーンという診断は保留のまま経過。

白に近いグレーなのか、グレーの中のグレーなのか、微妙なところであはあるが、ピュアホワイトってことはなさそうだ。まぁ、私ものん太郎がピュアホワイトであるとは思ってない。

心理士の先生との話を終えたあと、のん太郎が私に私と先生とが話している間に作ってくれていたのんたろう自作の迷路で最後は私と先生を楽しませてくれた。

その迷路、今回の自分がやったいくつかあった種類の迷路と類似。うまく再現できている。

あぁ~こういうところ、のん太郎らしいなと思いながら、こういう面を育てていきたいなと思った。

次回の相談は6歳になってからの持ち越し。その間に何かあればいつでも相談にのりますと。

思い返してみれば前回の相談の時より、のん太郎が落ち着いている。のん太郎がADHDでもグレーでも、とりあえず今のところはまぁいいかなといったところが、今回の着地点になりそうだ。

それでも絶対に確実に、小学校に行ったら悩むであろうから、就学前の残り半年を楽しもう。

今は保育園でも家庭でも大きな困りごとがない。こんなこと、この先あるかどうか分からないので、このわずかな期間を大切に。(おいおい)

じゃなきゃ、もったいない。

いつもありがとう。

美羽

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コメント

  1. アバター MAMAMAMA より:

    はじめまして、こんにちは。コメントが初めてかどうか分からない位何年も前から読んですますが、はじめましてな気がするので、はじめまして、とご挨拶しておきます(長いですね;)

    我が家は姪っ子が不注意型のADHDです。やはり入学前から相談をしていて、入学前は「グレー」入学後に「濃いグレー」、1年後に「通級が必要かも」と診断を受けました。入学後から、注意力を上げるクスリを飲んでいます(副作用で食欲が落ちましたが、その後クスリを変えたら食欲戻りました)。

    ちなみにグレーと言われる頃にはもう「そうだろうな」と思える状況でした。人の話を聞かない、チックの症状、友達との遊ぶ約束を忘れてくる(友達が怒って迎えに来る)、匂いを必ず嗅ぐ、自己肯定感が低い、などなど。算数も特に時計が理解できず、今の時間は分かるけど「15分前」など遡る事ができないと言ってました。

    障害認定されれば、認定された子が無料で通える塾のようなサポート施設にも行けるんですけど…姪っ子の場合は、通級対象にも障害認定対象にもギリギリでならなかったんですよね。

    グレーって、グレーと言うほうの状況や事情や気持ちは分かるんですが、こちらとしては「なんで!?」って思いますね。クロなら受けられるサポートが受けられない、でもシロ程上手に生きられない。自分の子供ではないですが、姪っ子が将来社会に出る時に今から叔母として何をしてあげられるのか、事あるごとに考えてます(名案が全然浮かびません)。

    姪っ子を見てて思うんですが、ADHDの子って感受性が強い子が多いんでしょうか?もうガラスのハートじゃないかって思います。アンパンマン見て泣くんですよね(パパである兄も一緒になって泣いてますが)。繊細すぎて繊細すぎて、自分のハートが壊れないように自己防衛してるのかな、とか、ハートが少しの衝撃で傷ついて壊れちゃってSOSを出してるのかな、とか考えてるんです。繊細じゃない私はどうやって接したらいいのか、悩むところです。

    なので、赤裸々に綴っていただくみゅうさんの考え、言動がすごく勉強になります。兄夫婦への接し方を考えるきっかけにもなりました。何のアドバイスもできず、教えていただく事ばかりですが。。これからもブログ楽しみにしています。

    余談ですが、みゅうさんが昔のん太郎くんに「ママ、のん太郎が好きすぎて困ってるの。どうしたらいいと思う?」と聞いてた話がすごく好きで、当時からずっと、未だにのん太郎くんと同い年の息子に聞き続けていますw今ののん太郎くんはどう答えてますか?良かったら是非教えてください(о´∀`о)

  2. myu7 myu7 より:

    MAMAMAMAさんへ
    ママママさん、とっても心の優しい人ですね。
    途中、姪御さんのお話ということを忘れてしまいそうになりました。ご自身のお子様かと・・・(笑)
    母親と同じ目線で自分のことを思ってくれる人がこんなにも身近にいる姪御さん、たとえグレーというところでの支援が薄くなってしまっても、姪御さん幸せですよ。とっても。発達の凹凸が見られる子はとくに、味方が多ければ多いほどいいって聞いたことがあります。まさにそうですね。

    頂いた大事な2つのご質問はせっかくですので、ブログの更新にてお返事させてくださいませ。アンパンマンを見てなくのは、感受性もあるとはおもいますが、そもそもママママさんと同じ心の優しい子なんではないですか?

    グレーゾーンというフィルター抜きにしてはどうしょう?
    ADHDだからではなく、そもそもその姪御さん自身が、人のことを思いやれる気持ちをもっている子なんだとお察しいたします。素敵な長所ですね。そんな素晴らしいところを、ADHDだからと先行してしまうのはもったいないように思えます。人の痛みがわかることは、人に優しくできるということですからね。

    この子たちの将来は今より研究がすすみ、少しでも生きやすい世の中であることを私も願っています。