長男5歳と長女2歳、生まれ順による育てにくさの表れを考えてみる

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ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

一つ前の日記の続きです。

長男5歳の育てにくさを感じ医療機関へ相談してみることにした

こちらより、先にお読み頂くとスムーズかと思われます。

そう、最近になりひとつ思ったこと。

我が家の長女ののん子がそろそろ2歳半となる。ちょうど私がのん子を妊娠をした時期と重なる。

成長がちょっとのんびりなのん子。ママの抱っこが必要不可欠で、ママじゃないとダメなことが、あきらかにのん太郎の時よりも多い。指しゃぶりも全くやめられる兆しはない。

それとは対照的な長男。オムツ外れも早かったのん太郎は、ちょうどこの時期にオムツが外れた。のん子にはまだまだそんなこと望めない。

また2歳半ののん太郎のこの時期は、ママが妊娠しつわりがあった為なかなかママからの抱っこは望めず、そして望まず、のん太郎の抱っこがパパ担当になった時期でもあった。よく休みの日にはパパと2人で公園に出かけていった。今でものん太郎は私に抱っこをしてほしいとほぼ言わない。そして、そのことに私自身あまり気付いてやれなかった。

のん子を見ながら、あぁ・・・この時期からすでにのん太郎にはお兄ちゃんとしての役目を果たさせてしまっていたのだなと思う。のん子にのん太郎と同じような役目を課せるにはなかなか難しいように思える。そうなったらなったで何とかなるんだろうけれど、それでも生まれてくる順番って、実は前々から決まっていたのではないかと、思うほどである。

愛情ってちょっとの時間でも満足できるうつわの子もいれば、その逆も然り。

愛情を受け皿とするその器が大きすぎて、たくさんのの愛情がないと満足できない子がいると聞いたことがある。私はその話をもろに信じている。

さらに自分がのん太郎に、いっぱいいっぱい注いできた愛情も、それが5歳である今も現在進行形でなければきっとまだまだ幼児期の心は満たされないのかなと考えるようになった。

もっというと、たとえ乳幼児期にどんなに可愛がってきたとしても、今のこの時にそれができなければ、その注いできた乳幼児期の愛情でさえも、彼にとって帳消しになるのではと思っている。

今でものん子は、ママにべったりでママのもとから離れない。

まだまだママ追いは続いており私がトイレに行くだけでも、泣いて泣いて追いかけてくる。朝もだいたい泣いて起床。ソファーでママとべったりの時間を20分~30分ほど過ごさないと、着替えたりオムツ交換ができないほどのママっこ。(これはこれで実は大変・・・)

ようやく心が満たされると、動き出す長女2歳。それまで、1人遊びをするしかない長男5歳。パパが遊ぶ相手をできる日もあるが、それはどうしても土日に限ってしまう。

もともと一人遊びが得意だったこともあるが、私はそれに甘えていた部分もあるのだと思う。

夜、たまにのん子が先に寝るととてもうれしそうなのん太郎。ソファーで2人で過ごしたり、そんなときはゆっくりとした時間が流れる。そして、今日は一緒に寝よう!と言う。私はいつも一緒に寝ているつもりだったが、きっと彼の中では違うのかもしれない。

生まれてくる順番ばかりはもちろんどうにもならないが、生まれ順によっても兄弟における月齢差においても、その子の性格は大きく変わってくるのかもしれないなと、最近はよく思う。

みなさんは思ったりしませんか?

もし、生まれてくる順番がこの子たち逆だったらと。

我が家はのん子が場所の空気を読むので、もしのん子が先に生まれてきたら、のん太郎の子育ては幾分ラクだったのかもしれないと思う時がある。(差に驚愕するかもしれないけど笑)

先日、のん子が水いぼ除去のため皮膚科に受診した時のこと。

混んでいた待合室、空いた席に2人で座る私とのん子。

静かにしてて欲しいなと思っていて、いつもよのようにママリュックから退屈しのぎセット(シールやお絵かき帳が入っているポーチ)を出そうとしたらない。どうしよう・・・気を紛らわせるものがない中、この待ち時間はきついぞと思う。

しかし、のん子はぐずることなく立ち歩くことなく、おとなしく私の隣にちょこんと座り、待ち時間を一度も立つことなく過ごせた。

生まれてから風邪や発熱がほぼ無いのん子。保険証を提示するのは予防接種以外ない。だから久々の小児科受診だったが、私はこの待ち時間がのん太郎の時に苦痛だったので、のん子を見ながら待てる子は待てるんだと思ったのと、のん子が先に生まれていたらのん太郎はどうだったかなと、思ったりもする。

受付のお姉さんや、看護師さんにも

「おとなしく待てて偉いね」と褒められて帰ってきた。

のん太郎の時は、そんなことを言われたことなんて一度もなかったなと思った。のん子の成長に伴い男女差ももちろんあるとは思うが「あれ?こんなにラクだったっけ?」と思う場面が増えてきた。それと同時に、やっぱりのん太郎って大変だったんじゃん!って思う(笑)

こうしてみると同じように育てても違うんだなとしみじみと考える。生まれもった本人の性格って大きいんだなと。

昔私は、スーパーで泣きながら大の字になっている子は育て方によるものだと思った。

けど、今は違う。

あれは、本人の性質だと考えを改めるようになった。

全てが育て方によるものだと思われたら、母親は生きにくくなる。そして生きにくくなった母親に育てられた子はもっと生きにくくなるんだなとさえ、考えが及ぶようになった。世間の目というものが、母親を苦しめることがあることを知った。

それでも母親は自分の子育ての間違い探しをする。私も3歳から反抗期の長男に対し、いつから?どこから?何が?と、たくさん間違え探しをしてきた。

私はもしも自分の子がのん子だけだったら、あのスーパーで大の字で泣く子を育て方によるものという目で今でも見てたかもしれない。その色眼鏡を外してくれたのは紛れもなくのん太郎だった。

のん太郎は私ところに宿る前から、私に色んな感情を与えてくれた。それになかなか私のお腹の中へきてくれなかったのん太郎。試練は、もしかしてあの時から始まっていたのかもしれないな。

色んなタイプの子がいる。全てが、母親の育て方ではないんだなと思う。

なんなら”三つ子の魂百まで”という諺も、今の私には不要だなと思う(笑)

いつもありがとう。

美羽

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