義父の他界と家庭崩壊と夫の生い立ち

Pocket

ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

今回の義母の襲来には、私がほとほと疲れてしまい

かなり強烈だったので、しばらくお泊りはなしにしてほしいと

やんわり旦那に伝えたいのですが

角がたたないよう伝えるにはと、言葉を選んでおる最中です。

自分の家に自分の家族以外の人がいるって

こんなにも疲れるんですねーーー。

まだ水曜日・・・体がだるいのは義母のせいー。

*



スポンサードリンク

*

さて今日はコメントさんにあった

義父について触れたいと思います。

アメブロでは書いていなかったこととなりますが

いつか日記に書き留めておきたいなと思っていました。

コメントさんのお返事がまだですが書きすすめていきたいと思います。

義父は、のんこが生まれた平成28年に他界。

もう2年前のこととなります。

病名は癌で、全身転移で最期を迎えました。

健康診断で見つかった時に、仕事を誰にも相談せず早期退職し

単身赴任先だった神戸の社宅を引き上げ

義母の承諾なしに新潟の自宅へ戻り

数十年ぶりの義父と義母の同居が再開されたのは

5年前のことでした。

その後癌治療を新潟で開始するも

抗がん剤には頼らず自然治療に身を置き

癌はみるみる進行、これはまずいと思った義父が

標準治療へ切り替えるも時すでに遅し。

2人目の孫となるのん子の顔をみることなく

この世をを去りました。私は臨月でした。

私は義父が抗がん剤を拒否していたことを

亡くなったあと義母から聞かされました。

生前に聞かされていれば、何か相談にのれましたが

それさえもできませでした。

銀行員だった義父は、4・5年おきに転勤があり

夫の妹、春香が生まれた頃を境に

義母は夫の転勤についていくのをやめました。

そして義父の単身赴任がはじまりました。

義母と義父の不仲はより一層深まり

生まれも育ちも新潟だった義母は

当時の単身赴任先である東京の社宅に義父を残し

新潟の自宅へ戻り、そこで子育てを始めます。

生まれも育ちも新潟だった義母が選んだ道でした。

義母は専業主婦だったため、ローンの支払いは義父となります。

義父の出身は九州で

それなのに、子どもが生まれる前に

義母の故郷である新潟に家を建てたのは

その当時は愛していたのではないかと思っていますが

今ではそんなこと口になんて出せません。

夫は父親と旅行したことも遊んでもらったこともなく

だから、のん太郎にはそういう思いをさせたくないと

実父が他界した今でも口癖のように言います。

夫の家族は他にも問題を抱えていました。

夫が高校受験も時、3つ下の妹はまだ小学生でしたが

そのころから完全に不登校となり学校へはいかず

家で義母に当たり散らすことが増え

精神科へ通うようになり手首の切り傷はふえていき

たまの週末に単身赴任先から帰ってくる義父は

その状況を見て見ぬふりをし

やがて家族がバラバラになっていきます。

夫の妹、春香は

「母は、兄だけが可愛かったんだと思う」

と、前に私に話してきたことがあり

決してそんなことはないのでしょうが

その気持ちを義父・義母は知ることなく

妹は大人になっていきました。

今でこそ、母と妹の関係は2人で出かけるまで回復してますが

それも、本当にここ最近のことです。

妹は自分が結婚し子どもも生まれたことで

何か変わったのかもしれません。

そして夫は高校卒業とともに上京。

こんな家庭が嫌で、高校卒業後は家を出ると決めていたようで

大学は都内の大学へ通いそのまま東京で就職

その後、私と出会い結婚しました。

今でも、夫と妹との関係性は悪く

妹が夫に連絡を取る場合は私に連絡。

夫が妹に連絡を取る場合も私が極力

間に入るようにしています。

友人には、いつも苦労しているねと言われますが

職業柄、特に大変と思ったこともなく

ラッキーだったなと思いますが、何がラッキーなのかはわかりません(笑)

ただ、家族間の亀裂ほど

修復が難しいものはなく

私はそれを嫌というほどみてきているので

夫の妹と私の関係は良好でいられるよう心がけています。

さて私が妊婦中、臨月にさしかかる頃に義父は他界し

そろそろあぶないと言われた平成28年の真冬の2月、

私は毎週のように夫を新潟に帰らせました。

新幹線を使えば、2時間ちょっとで着きますから。

義父の余命がそろそろと言われていたために

義父は在宅療養が厳しくなり、入院生活となっていました。

夫の妹、春香は正月あけから義父が他界するまでの約3か月間を

新潟の実家で生活していました。何があってもいいようにと。

しかしながら自分の夫は東京へ残したまま

自分と幼稚園入園前の娘と2人で新潟へ帰省。

長らく新潟で生活をしていたようです。

私はそれには驚きを隠せませんでした。

いくら実父があぶないからといって

3か月以上もの間、自分の夫だけ東京の自宅で生活させ

自分と子どもは新潟でしばらく生活をしていた妹。

私には、その選択は考えられず

春香の兄である私の夫も、やはり妹の考えていることはわからないと

その時はよく言ってました。

正直、よく義母はそれを許したなと思いますが

気の強すぎる娘には強く言えないのだと思います。

夫が新潟に帰省すると義父は入院していたため

ほとんどは入院先の病院で過ごしていたものの

生まれ育った実家で、夫・妹・義母との時間がありました。

泊まり込みでの看護をしてほしいと

義母は病院から言われていたため、嫌々ながらも

義母が基本病院で寝泊まりをしており

そんな夜は妹と夫が実家で過ごす時間が増えますが

もちろん別々の部屋で過ごし会話はありません。

言いたいことがあっても、私を通してくる妹、春香。

お互い同じ家にいるにも関わらず

その橋渡しは私がしていました。

たとえばですが・・・

春香は夫がビールの缶を飲みっぱなしにして就寝し

朝起きてその空き缶を、

一緒に帰省していた春香の娘が口してしまったことに腹をたて

私にメール。

「飲んだ缶は捨てて欲しいと、兄へ言って欲しい」と・・・。

お互い実家に帰り1つ屋根の下で寝泊まりをしているにも関わらず

そんな状況でして、臨月だった私は、夫にその都度連絡。

ビールの缶のことなどを伝えたりしていました。

夫も妹の気の強さが苦手で自分から話しかけることもないので

世間一般的な兄妹の会話というものが

夫と妹の間には存在しません。

同じく兄のいる私からすると考えられない光景です。

実父に可愛がられた経験のない夫。

わざわざ東京から新潟に帰るのをしぶりました。

私もいつ生まれるかわからない状況の中に

わざわざ帰るべきかと、夫には何度も聞かれました。

しかも切迫で入院したのが1月だったので

こちらもこちらでバタバタでした。

夫の気持ちもよくわかりますが義父がそろそろ・・・という中、

新潟へ帰省することで、自分が後悔することはなくても

行かないで、このままお別れしたら

この先、後悔することはあるかもしれないよと説得。

夫は何度か新潟へ行き、その何度目かで義父は他界しました。

夫から義父との思い出を聞いたことはないですし

これから先もきくことはないでしょうが

やはり最期は看取れてよかったと

2年たった今でもそう思っています。

義母は、その時も大変だからと

わざわざ東京から来なくてもいいよと

言っていました。

義父のために、忙しい息子が苦労することないと

思っていたのだと思います。

しかし、妹の春香は

母親が兄に新潟来なくても良いといったことに対し

腹を立てていました。

長男の務めと妹は思っていたのでしょう。

しかしそれでも

義父とのことで息子が帰省し会えることを

喜んでいたであろう義母。

妹は兄が帰省するたびに喜ぶ実母を

まるで恋人が帰ってきたみたいに喜んでたと、

皮肉を交えてそう言います。

しかし、義母にとって私の夫である息子の長男は

本当に恋人だったのだと思います。

それも長きにわたり。

よく子離れできてないなんていう表現をしますが

そんな可愛いものではなく、義母の注ぐ息子への

その過剰な愛情は、どこか屈折しているように思えます。

しかし、義父に愛されてこなかった義母。

聞き分けがよく勉強もできた息子。

自慢の息子だったに違いなく

義母が夫の幼少期を色褪せず

今でも鮮明に覚え、何度も何度も同じ話を私にしてくるのは

子育てが全てだったというよりも

義母には、それしかなかったからだと・・・・

私はそう強く思っています。

息子が心の支えであっただろうし

娘である春香が荒れて大変だった時も

義母の心のよりどころは息子だったのだと思う。

正直、私も義母の語る旦那の思い出話は

もうそろそろ気持ち悪いなと思うし

それに引き換え、娘の幼少期の話は全くでてこないなとも思うし

義父なんてまるでいなかった存在かのようだし

私にはそれが時おり寂しく見えるけど

それが義母の生きた半生なんだと思う。

そうさせたのは、紛れもなく義父であり

子どもにとっても義母にとっても存在するにもかかわらず

父親としての使命を果たさない

そんな夫であり父であった義父。

それならきっといない方がよかったに違いない。

存在するのに、存在しないことと一緒だなんて

むしろ、その方が罪深いことと私は思う。

しかし、そんな義父にしてしまったのは義母かもしれない。

夫婦には夫婦にしかわからないことがたくさんあり

単なる嫁の私なんかには、計り知れないけれど

こんなにも寂しい夫婦の終わりがあることを

私は結婚してはじめて知るのでした。

私も、この日記で散々ね旦那の愚痴を口にするけど

子どもが巣立ったあとこそ

夫婦というものが問われる気がして

それはずっと思っていたことで

だからこそ、

私と夫の”夫婦”という土台の上に子どもがいることを忘れず

土台の上にある子育てはいつか、

そう・・・・いつの日か終わりを迎え

子は誰かと結婚し、そこに新しい家族ができる。

しかし、この夫婦としての土台はこの先もずっと残る。

ちょっと話がそれてしまうけど

私が10年以上こうして日記を書き続け

長男、長女と家族が増えても

”旦那さんと私の幸せな生活”というタイトルを変えないのは

そんな夫の家族を目の当たりにしているから

自分と夫との土台をいつまでも大事にしていきたいという

私の願いを込めてでもあります。

(もちろん、各家庭たくさんの事情があり
母子父子家庭を否定するものでは決してありません。)

そして他界した義父。

あの世にいったあとも、沢山の問題をこの世に残していきました。

癌で他界した義父は自分の家族に何も残さず死んでいった。

余命宣告されていたので、準備する期間はたくさんあったはずなのに

何も整理せず最期を迎えた。

何も、本当に何も残していかなかった義父。

自分の保険金の受け取りは、信じられないと思うけど

妻でも娘でも長男である私の夫でもなく

義父がかけていた保険金の受け取りは

まだ存命している自分の母親でした。

自分の母親に生命保険をかけていた義父。

私もその事実に耳を疑った。

そして、それを義父が亡くなったあと

夫む含め家族全員はその事実を知るのことになるのでした。

ちょっと話が長くなったので、

また次回へ。

今日は重い話だったね。

ごめんね。

けど、聞いてくれてありがとう。

いつもありがとう。

美羽

スポンサーリンク
Simplicity 336×280 レグタングル(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
Simplicity 336×280 レグタングル(大)

コメント

  1. アバター めがね より:

    タイトルは、みゅうさんの想いそのものだったのですね。

    私も実家は東京から離れた土地にあり、父の危篤には夫に了承をもらい、1ヶ月ほど父の側で過ごしました。3ヶ月…自分の場合に置き換えても滞在したかもしれません。みゅうさん達が信じられないと思われたのは、妹さんとお義父様の関係性の薄さにも関わらず長期滞在されていたからなのでしょうか。

    お義父様も、お義母様と同じだったのでしょうね。遠い土地で家族からの感謝の言葉もなく何の為に働きローンを支払い続けるのか、まるで熟年離婚を計画していた様にも復讐のようにも見えました。夫婦にしかわからない事ですが、お互い様なのでしょうね。

    • myu7 myu7 より:

      めがねさま
      めがねさんのお父様はまだお若かったのではないですか?うちの義父もまだまだあの世へいくには早かったように思えます。
      義父と娘の関係性はいうまでもなく希薄で、それは兄である私の夫も変わらないのに
      兄は冷たいとか、思いやりがないとか、散々のいわれようでした。
      まぁ、私たち夫婦はそんな家族にならないよう、お互いを助け合っていけたらいいねと思うばかりです。

  2. アバター HiNa より:

    今日の話題は心が痛いです

    みゅうちゃん、私の実家も家庭崩壊してます
    帰省しても私は実家に帰らないし親にもきょうだいにも会わないの

    帰省したら「ご両親喜んでるでしょう」と言われ、
    妊娠したら「里帰りするの?」と聞かれる

    天気の話程度の挨拶代わりの会話だと理解してるけど、『幸せな家庭で育ったんだろうなぁ』と思ってしまう

    一番身近な男女である両親が不仲というのは辛いよ、とてもとても辛い
    一番基盤の夫婦が歪んでるんだもの
    子どもの心も歪んでいく
    一番の被害者は子どもなんだよね

    毒親って、みゅうちゃん知ってる?

    • myu7 myu7 より:

      ヒナちゃんへ
      うん。私、自分が毒親なんだと思うことがしばしば・・・。
      DVも虐待も一番の被害者は子供で連鎖していくので、結局なくなることはないんだよね。
      ただ、たとえ家族崩壊した家庭に育っても、自分が築く家庭はまた違うものだと私は思うし
      会いたくない親やきょうだいなら会わなければいい。
      自分の今の家族が幸せならそれが一番だと思う。