ご訪問ありがとうございます。みゅうです。
のん太郎には全く合わなかったコンサータに変わり、次に処方されたのがエビリファイだった。
いわゆる向精神薬。コンサータとは全く違う精神科薬だが、どうか合う薬が見つかって欲しい・・・ただただそれだけだった。
悩みに悩み服薬を開始したものの、はじめに処方されたコンサータは相性が合わないまま2週間が経過。その間も癇癪が止まることはなく、私は日々疲弊していった。
癇癪が始まると数時間はその癇癪が続くために、部屋は荒れ、物は壊れ、私の心は疲れ・・・それが目に見えているので、癇癪が起こりそうなこと、できるだけそれを避けるようになっていった。
その結果、ダメなことをダメとしっかりと叱れない状況が発生していった。これも立派な2次障害ではないのかと私は思っていた。それでも、学校に行く事がまずは大事と私は考えていた為、できるだけ登校前は彼の要望をのむようにしたし、癇癪が一度起きればただただ時間が過ぎることを待った。
のん太郎の要望と言っても、朝からお菓子が食べたいとかジュースが飲みたいとか、その程度だったが、もちろんそれは私の育児とは反するものだったし、今はまだ小学校1年生がゆえのたかが知れている要求だったが、年齢があがればこれはどうなるんだろう・・・そんなことは常に思っていたし、ダメなことはダメと伝えていきたいが、彼の要望にNGを出すとそれはそれは嵐の幕開けだったりする。
何が火種となるか母の私とてわからない。ただ根底に”学校”というストレスがその時ののん太郎を支配していたんだと思う。
登校時間近くになると、家を裸足で飛び出し逃げたこともしばしあった。
はじめは心配だから追いかけるも、ある日を境に私は飛び出していく彼を追いかけなくなった。もしかしたら突発的なことだって起こり得たかもしれないが、気力なんかもう残されてなかったんだと思う。
そんな最中に、出会った薬がエビリファイだった。
エビリファイを処方されたのは、2019年6月5日。
この日も、クリニックの受診の予定ではなかったが、朝からの数時間に及ぶ癇癪に下校後の自宅での癇癪。もう、限界だった。
自分の癇癪を自分で抑えられなくなり、涙を流すのん太郎を抱え、パパに早く帰ってきてもらい、車でクリニックへ向かった。
診察室で、のん太郎の朝から下校までの様子を主治医へ説明をする。
そこで主治医より提案されたのが、まずは気持ちを安定させる薬であるエビリファイだった。これは一般的にADHDの児童が処方される薬ではない。
易刺激性の症状を持つ子に出すお薬だったが、主治医より今ののん太郎に診断名をつけるよりも、問題とされる行動を抑えてあげることが最優先ではないか?と言われた。その通りだと思った。
そして、易刺激性・・・・まさに今ののん太郎だった。
その日、一つの大きな疑問であったことを、主治医に聞いた。
「保育園時代も、こんな癇癪は一度もなかった。こんなにも環境の変化で人は変わってしまうものですか?」と。
そう、保育園時代。のん太郎の育てにくさは3歳頃から育児では感じていたし、発達障害かもしれないって疑ってきたが、これほどかと。これほどまでかと。私の何がいけなかったのかと心の中で反芻すうる。
園行事や園生活に大きなトラブルはなかったし、やるべきことを実施できないこともなかった。たしかに落ち着きのなさはあったけど、気持ちの切り替えも苦手だったけど、ここまでじゃない。発達障害である場合、年長時ではだいぶ目立ってくるけれど、そんなこともなかった。
だから私は小学校もなんとかやっていけるんじゃないかと思った。それが甘かったのか・・・。療育に行かせていれば、何か違ったのだろうか・・・。もう、わからない。
先生は私の意図をくみ取ってくれたのか、こんな話をしてくれた。
「子供だけじゃなく、大人も環境によって心は大きく変化します。のん太郎くんの場合、それが学校という環境の大きな変化で、日々混乱しているのだと考えられます。
お母さんのお話を聞く限りでは、育児に問題があるように思えません。学校も、非常によく対応してくれている良い学校と思います。
まずは、家庭・学校の環境整備をし、それでも問題行動がおさまらず本人が大変な思いが続く場合、その時が服薬に移行する時だと考えます。」と。
なんで、こんなに育児が辛いんだろう・・・私の涙は止まらない。
「厳しいこと言うようだけど、まだ6歳の子に、薬を飲むという選択はできません。
処方を決めるのも、処方された薬を飲ませるのも、結局は親御さんの意志であり、それは医者でも息子さんでもないんです。
極論、親がどこまで我慢できるかということになりますが、見る限り、のん太郎君のお母さん、だいぶお疲れのようにみえます。まずはお母さんが通常の生活に戻れるよう、心を休ませられるよう、今は服薬に踏み切って良いと思います。」
これが主治医からの話だった。なんとか頷きながら主治医の話を聞く。辛い。全てが辛い。変わっていくのん太郎も、この育児もその全てが・・・・・。
最後に主治医は
「あと、のん太郎君は何も変わってませんよ。癇癪が起きている時ののん太郎君は本来ののん太郎君ではないでしょうし、まずはエビリファイ試してみて、また様子をみて考えていきましょう。」
そう、私に告げた。
どう・・・どうかまず癇癪を・・・・。毎日の癇癪をどうか抑えて欲しい。
それで始まったのがエビリファイだった。
診察を終え、私はすぐに学校へ電話をした。新しい薬が始まり、明日の朝、どんな形で迎えることになるか想像がつかないこと。遅刻や場合によっては欠席も考えられるが、すぐに学校へ連絡できないかもしれないこと。そんな話をした。
電話に出てくださった先生は3年生の先生だった。担任の先生は不在だったがのん太郎のことを入学時より気にかけてくれ、状況はよくわかっていますと話してくれた。私は、涙なしでクリニックでの出来事を話すことはできなかった。
診察を終え、夕飯を食べさせ、はじめてエビリファイを服薬。30分程度ですぐに寝てしまった。薬のせいか、癇癪の疲れのせいか、学校の疲れのせいか・・・わからないが、のん太郎も相当疲れていた。
寝顔を見ながらも、明日もまたいつもどおりの癇癪がはじまるのでは?コンサータと同様に、全く効かないということもあるのではないかと・・・不安がよぎる中、朝を迎えた。
エビリファイの副作用は眠気だった。
主治医からもはじめの1週間~2週間は、倦怠感や眠気がかなり顕著化するだろうと話があった。
私も長年病院で務めてきたため、精神薬が効きすぎてデロデロな状態の中1日を過ごす(成人した)患者さんを多くみてきた。その時は、薬の種類と処方の量が多いというのもひとつの理由だったが、そこまでしないと自傷他害を抑えることができないというのも事実だった。
のん太郎もそうなるのだろうか・・・。
そして迎えた朝。
エビリファイ、3mgは多すぎたのだろうか・・・。
だるさ眠さが抜けないのん太郎がそこにいた。
寝起きの良いのん太郎、朝なんか起こしたことなんてなかったが、前日夜7時に就寝したにもかかわらず翌朝7時になっても起きてこず、なんとか起こしリビングまで連れてきた。
薬が効いているのが一目瞭然だった。そうデロデロの状態だった。こんなのん太郎は見たことがなかった。
起き上がるのもしんどそうで、目はとても眠そうで体もとてもだるそうだった。朝ごはんをなんとか食べさせ、自転車の後ろに乗せ学校へ向かう。
担任の先生が玄関先でのん太郎の登校を待っていてくれた。涙を堪えのん太郎を引き渡し、学校をあとにした。
この日は、時間通りに、登校できた!というよりも、学校へ行きたいないという彼の反抗を薬で抑えたように思う。学校へ行くという選択をし登校できたのではなく、行きたくないという彼の感情を抑えたことで登校できた。
初日はそのような状況だった。
それでも私は思う。こんなデロデロの状態ののん太郎を見て涙しながらも、それでもやっぱ毎朝のように繰り広げられたあの癇癪がなかった。何日ぶりだろうかと・・・。それに私は心底ほっとした。
1日目の下校時、靴箱まで迎えにいった。先生に手をつないでもらいながら、階段をおりてきたのん太郎。先生からは、
「授業中、眠気がかなりあり、途中後ろの席で突っ伏して休める時間を持ちました。しかし30分ほどして、自分から席に戻り授業に加わりました。そのほか、離席や教室の外に出てしまうことはみられてません。」と。
いつもしっかりとのん太郎を見てくれている先生に感謝しかない。お礼を言い、またのん太郎を自転車に乗せ家を向かった。
そして2日目。夕方6時になり、またエビリファイをのん太郎に飲ませた。
あんなにデロデロなのん太郎を見ても私は薬を飲ませた。こんな私は、鬼かもしれない。それでも、まずは1週間、1週間様子を見ていこうと思った。
2日目の朝、昨日より少し活気が見られるが顔の表情がない。朝食を食べ、学校へ向かう。
薬の副作用が強くみられるが、自転車に乗っけていこうか?と提案するも、自分で歩いていく選択をする。
下校時、先生に付き添ってもらいながらも一人で下駄箱まで降りてくることができた。先生からも昨日より、眠気は感じられませんでしたが、活気は見られなかったと報告あり。
3日目。朝、自分から起きられるようになり食欲も戻ってきたように感じる。この日も登下校ともに見送りをしたが、途中いつものようにあった寄り道(公園やマンションの庭など)がピタリとなくなっていることに気付く。車にも注意を向けることができるようになる。眠気もだいぶ軽減している様子見られる。
明らかに薬に慣れてきている様子が伺える。
そして服用から1週間目の連絡帳にはこんなことが書かれていた。
『先週に比べ、眠い様子が見られず、休み時間などは大好きな漢字の勉強をしたり、お友達を談笑したりする姿がみられてきました。薬に頼りたくないお母さまの気持ちを思うとお辛い面をお察ししますが、薬を飲むことで落ち着いているのんたろう君をみていると、本来の”良い子になりたいのん太郎君”が見られて、本人も嬉しそうにしているのではないかと感じました。図書の時間でも借りたい本が借りられ、とびっきりの笑顔をみせてくれました!」
薬を飲むことで、のん太郎が自分の人生を自分が思うように歩いていき、そしていづれ薬を飲まなくても自分らしく生きられるように・・・。負の感情に支配されないように、生きて行って欲しい。
薬を飲む選択をしたこと、間違いじゃなかったと、ようやく思うことができた出来事だった。
そして服用からちょうど1週間たち、ふたたびメンタルクリニックを受診した。
診察室に入り、はじめてのん太郎は先生の前に置かれた椅子に座ることができ、先生ともゆっくりお話をする姿が見られた。
先生からも『あきらかに落ち着いてきましたね』と言われ、私からも癇癪がエビリファイ服用後から一度もないことを伝えた。
癇癪がなくなったと同時に、離席がなくなったこと、マイナスの感情に耐えられず教室から飛び出してしまうことも1週間は見られなかったことを伝えた。もともと授業中の立ち歩きはほぼなかったが、どうしても嫌なことがあると教室から出てしまうことはあり、それを心配していたが、気持ちの落ち着きとともに、そういった問題行動も激減していった。
状況的に落ち着いているため、まずはこのエビリファイを継続していくこととし、次の受診を1週間後に予約した。
続く・・・・・。
いつもありがとう。
美羽
コメント
みゅうさん
こんばんは。いつも拝読しています
私の息子はもうすぐ3歳です
ずーっとみゅうさんのブログを読んでいるのでともくんの作る料理の話やミッキーとデイジーだったかな…あの2人を使った写真など楽しく見ていました
勿論、ベビ待ち戦士だった頃も。
のんたろうくんの服用、とても悩みに悩んで出した結論だったでしょう…
子供の辛い顔、頑張っている顔、
どうしたら良いのか分からなくなっている顔を見るのはとっても辛いですよね
みゅうさんのことだから沢山、調べたら勉強していると思います。
3ヶ月、6ヶ月でコンサータ、エビリファイを服用しなくなった…という経験談を沢山載せている
藤川徳美先生という心療内科医がいます。
きっとご存知だとは思うのですが…
男の子のお母さんなら一度は検索して辿り着く方も多いのではないでしょうか。
食事やサプリメントで体質を改善するだけでも
今飲んでいる薬の効果がより良く期待できるものになったり、また必要でなくなる時がくるとも言われています。
もし機会がありましたら
ぜひ藤川徳美先生の著書を読んでみてください。
そして、アメブロやfacebookもされておりますので参考までにお伝えします
いつも応援しています
みーとくん。様
いつも本当に本当にありがとうございます。
とても有難く思います。
そのブログは以前から知ってました。
サプリメント、気になりますが試してはいないです。
今後とも宜しくお願いします。
はじめまして!来年小学生へあがる息子がいます。昨日、就学時健診でした。年中のころから切り替えが苦手で、一斉指示が通りにくいと言われ、5歳の夏にwicsを受けて診断名はないが、広汎性発達障害のグレーと言われました。就学時健診で特にそのことは伝えなかったのですが、それで良かったのかなーといろいろ調べているうちにこのブログにたどり着きました。お子さんの小学校での様子をセキララに書いて下さり、とても参考になります。書くのも苦しいときもあると思いますが、また読みに来たいと思います。ありがとうございます。
ななこ様
コメントさんありがとうございます。
就学時前検診で伝えなかったのは、息子様を色眼鏡で見て欲しくなかったからですか?
もしそうでしたら、その気持ちとてもよくわかります。私もそうでしたから。
迷いましたが私は結果的に入学前に小学校へ伝えるという選択をしました。
それは、結果的に息子の状態は変わらないだろうと判断したからです。伝えることにマイナスはないと思ったからです。結果的に良かったです。
あとはななこ様がご判断するところですね。
息子様、のん太郎と似てるなと思いますが2学期も順調ですよ!理解のある担任の先生に恵まれる為にも、学校へ事前に少し他の子より手がかかることを伝えておくのは良いですよ。
それは、決してななこ様や息子様が否定されるものでは、ありませんから。