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さて、3歳から始まった反抗期。
どうにもこうにも、のん太郎とのやり取りで先の見えない時期が続き、のん太郎(5歳)は育てにくい子なんじゃないかと思い始め、保育園の園長先生に相談をしたのが今年の8月。のん太郎がちょうど5歳半をすぎた時である。
⇒長男5歳の育てにくさをはじめて保育園の園長先生へ相談した結果
日付を見るとこの日記を書いたのが、ちょうど8月の終わり。
そこから5歳児健診の予約を取り医師の診察を受け、ADHDグレーかもしれないと言われ、昨日2度目の心理相談を終え今日に至る。
思い返せば今年の夏、私は確実に育児に疲弊していた。
過去をやり直すよりも、この嵐のような日々が過ぎ去ることを望んだ。
そんな時、のん太郎に忘れもしない一言を言われた。それは今でも反省している。
保育園が終わって、その日はとても外で遊べる気温ではなかったので、近くの図書館へ出かけた私たち。その図書館にあるラキューというブロックでのん太郎とのん子と一緒に遊んでいた時のこと。
お隣にのん太郎と同じ年の男の子が座った。胸元には年長組とわかる名札をつけている。その子の母親らしき人は自分の本を探し、その間その子はその子でのん太郎の隣で自分の好きな本を読んでいた。
ママがいなくてもお行儀よく、静かに本を読む姿に私は感心していた。
そしてしばらくすると、ママの用事がすんだのか「そろそろ帰るよ!」と呼びに来た。
するとその男の子はすぐに「は~い!わかったよ!」と返事をし、本を(言われなくても)元の場所へしまいママのもとへかけてゆく。
一度でママの話を聞き、はいと返事をし、誰に言われなくても使ったものを当たり前のようにもとに戻すその男の子。のん太郎だったら、「早い~」「まだ見たい!まだ帰らない!」なんて怒るだろうなと私は思ったのだろう。
思わず・・・
「あの子、偉いな~」と、私は言った。
別に、隣にいたのん太郎に嫌味たっぷりに言いたかったわけではなく、つい口から出てしまった程度のことなんだけど、のん太郎はそれを聞き逃さない。とても鋭い目つきで私を見返し、口もとは怒ってますと言わんばかりの形をしていて、数秒私をみたあと、
「それが何?」
と、キレッキレの口調で言い返してきた。その後、しばらくしてまたラキューをはじめた。
しまった!と思った。
あわてて
「いや、別にあの子が偉いなっておもっただけだよ!」と補足したがあとの祭り。
「ママは、ぼくとくらべて、あの子はいい子って言ったんだよ。」と言われてしまった。まさにその通りである。
もう謝るしかなかったが、あの時は本当にのん太郎には悪いことをしてしまった。今もあのキレッキレの「それが何?」と言ったのん太郎の顔、口調、トーンを鮮明に思い出せる。
”それがなに”というたった5文字の言葉に彼の大きな怒りがこめられてように思え、今でも思い出しては反省をする。
そんなこともあった今年の夏だった。あれから少し月日がたち10月もそろそろ終わりに近づき6歳の誕生日まで3カ月をきった今、実はいま安定している時期が続いている。
第2回目の心理相談の結果の話をここでする前に、最近ののん太郎の様子を聞いてもらいたい。
夏が終わり、秋になった頃のん太郎と私の穏やかな日が1日と、また1日と増えていった。
それでも私は・・・・
⇒反抗期5歳、最近落ち着いてきましたって誰が言ったんだーー!!
と、書いた時のことを忘れていない。良い時と悪い時を交互に繰り返してきたので、きっとまたその波がくると覚悟をしていた。だから、きっとこれは何かの前触れなんだと思って過ごしていた。
穏やかといっても、おそらく他の家庭よりかは私は怒鳴っているのだろうけど・・・それでも、大きな違いは私自身、育児に疲弊していないということである。
育児における穏やかな日々とは、叱らず怒らず子供とのんびりのほほんと過ごすこととは違う。しまじろう家のようにはもちろんいかない。どちらかというと、サザエさんに近い。
叱っても、その怒りが頂点に達することが格段に減った。
のん太郎が本当に苦手としていた気持ちの切り替えが、少しづつ少しづつできるようになってきた。
そしてよく笑うようになった。
そんな9月を送り、そして10月が終わろうとしている。もちろん日々山あり谷ありだが、谷から先の谷底までいかなくなった。とくにここ1カ月程度、見違えるほど穏やかになり、私への攻撃的な発言が明らかに減った。
そんなのん太郎にこんなことことを話したことがあった。
「ねぇ、のん太郎、最近のん太郎変わってきたよね。自分でもわかる?」と、私。
「そんなこともないよ。まだまだだよー。」と、のん太郎。その返し、絶妙である。それにのん太郎らしい。
のん太郎の返答に笑っていたらのん太郎がいった。
「けど、ママが怒るのはにいにのことを大事にしているからでしょ?」と。
その言葉に微笑むと
「けど、ママ、怒った時、本当にごほんの鬼と一緒の顔してるよ。」
「・・・・・・」
さっきの私の微笑み、返して欲しい(笑)
のん太郎の反抗期、とってもとってもひどい怒り方をしてきてしまっていた私。あんなにひどい怒り方をしてたのに・・・、大事に思っているからでしょうとのん太郎に言われてしまった。
あの時、私は大事に思っているからのん太郎を怒っていたわけじゃなかった。
私の怒りがおさまらず、必要以上にのん太郎にきつく当たってしまっていた。
今でももちろん1日何度も同じことを注意し、何度言ってもできないとそりゃ~怒ることはあるけど、沸点は超えてない。のん太郎とバッチバチの時、沸点はもう振り切っていた。
わかってるよ、”怒る”じゃなくて”叱る”姿勢が大事ってこと。
けど私は今でもその区別ができるほど良い母親ではない。だからここでは正直にいたい。
そしてね、一番の一番の大きな変化があるの。
私、のん太郎のことね、本当にこの子って可愛い!のん太郎って最高だわ!って思える自分に再会したの。この久しぶりの感情、その気持ちにまた出会えることができた。
3歳からはじまったのん太郎の反抗期、可愛いと思いたいがそれよりも先に怒りの感情が勝っていた。
今も今で、もちろん多方面で手のかかる息子ではあるけど、
彼の強すぎた”我”が、今は少し、ほんの少しだけど自分でコントロールできろうようになってきたと、私は思っている。
それは10のうち1かもしれない。けどね、0だったものが1になったということは、2にも3にもなりうる大きな大きな進歩である。
そんな毎日だから、のん太郎のことをほめることが必然的に増えていった。
のん太郎の心の成長が目で見えるようになってから、のん太郎は妹のことをより一層かわいがるようになっていった。同じく、大したことじゃないかもしれないけど、急にぬいぐるみに愛情を注ぐようになった。
1カ月ほど前から、家にある大小いくつかのぬいぐるみを寝るときは必ず自分の横にならべ布団をかけてあげ、そろそろねんねだよ、電気けすよ~とぬぐるみに声掛けし、生活を共にするようになった(笑)
そこから今度は妹の手をにぎり一緒に寝ようと声掛け。妹に関しては安定の優しい兄ではあるが、妹の寝かせつけまでできるようになった。妹が私よりお兄ちゃんの手を握って寝たいと言うようになった。
私は、彼の行動に彼自身の心の余裕を感じるようになっていく。
私はぬいぐるみを可愛がるという行動を前々からとても大事に思ってい、大げさかもしれないが、彼の可愛がっているそのぬいぐるみたちは彼自身のように思えてきます。自分がされて嬉しかったこと、うれしかった言葉をぬいぐるみにしてあげています。
ぬいぐるみなんて見向きもしなかったのん太郎。それでもずっとおもちゃ箱の近くに置かれていたそのぬいぐるみたちは、最近になりはじめて名前をつけてもらった。のん太郎は、名前をつけたその子たちと一緒に寝るようになり、朝はその全部のぬいぐるみを両手にかかえて起きてきます。
その姿がとても可愛いのです。
以前は朝から機嫌が悪く、朝起きて早々にバッチバチの時もあった。そんな長男が自分から
「おはよう」と言えるようになった。
え?今まで自分から言えなかったの?って思われるかもしれませんが、のん太郎は反抗期真っただ中の時、朝起きても自分からおはようとは言えませんでした。
そんなのん太郎にとっては大きな大きな成長です。
反抗期がはじまる前の0歳から2歳の時、私はのん太郎がかわいくて仕方がなかった。目に入れても痛くないという言葉がぴったりだった。
そして反抗期がはじまった。
しかし、今・・・
のん太郎がものすごく可愛い。可愛くて可愛くってギューとかすると、のん太郎は嬉しそうにちょっと照れながら、そうわざと迷惑そうに
「もう、ママ苦しいよぉ」と言う。
ごめん、ごめん!ついつい可愛くてぎゅっとしちゃったよ!と言い手を離すと
「もういっかいやっていいよ」なんて言ったりする。そのツンデレ具合、それがまた可愛い。
私は、このまま母親の責任という気持ちを主とし、子育てをしていくんじゃないかと思った日々があった。
しかし、今こうして、心からのん太郎との日々、のん太郎との会話を楽しみ大事にしている自分がいる。
私は、今それが純粋に嬉しい。
この先また大きな波が押し寄せてくるかもしれない。
それでも、今この幸せな時間は絶対に消えない。
我が子が可愛いと心から思う。またそう思えて本当に本当に嬉しい。
のん太郎、生まれてきてくれてありがとね。
読者様、いつもありがとう。
美羽