ADHDの子供を育てるということ

小学校生活、変わりゆく長男と癇癪の日々、顕著化した発達障害とその凹凸

ご無沙汰しております。みゅうです。

気付いたら最後の更新より3カ月がたっていました。

私が事故にでも巻き込まれたのでは?とご心配のメッセージをくださったり、他にも更新が滞ってることを心配し気に留めてくださり、せめて少しづつでも更新できたらと思い再開することにしました。いつもありがとうございます。

コメントさんもメッセージさんも何一つお返事ができておりません。申し訳ございません。

はじめにお伝えしておきます。

今、長男のん太郎は発達障害の薬『エビリファイ』を飲んでいます。

小学校へ入学後のん太郎の心がどう変化し、いったい何が起こったのか、苦悩の末に服薬に踏み切った経緯を少しづつお話していければと思います。書くことへの迷いはありますが、もしかしたら長男と同じ発達の凹凸のあるお子さんを持つママの参考になるかもしれない。

そして長男が今服薬しているエビリファイという薬の有益な情報がインターネット上に非常に少なく、だからこそ情報の発信をしていければと思います。

いつか心から穏やかに暮らせる日を目指して・・・。

日々、変わりゆく長男

この3カ月、学校でも家でも色々なことがありました。ここに、こうして文字にするのか躊躇われるようなことが日々次々と起こり、のん太郎の心も限界でそんなのん太郎に私と主人は追い詰められていった。

今までと同様、我が家のありのままを綴っていきますが、読者様の想像をはるかに超えるほどの長男の激変。ストレスに耐えられなくなった長男は千変万化していきました。

初めは小さな癇癪から始まり、その癇癪はしだいに大きくなり、その癇癪時の時間も2時間、3時間と収まらなくなり、そしてほんのちょっとしたことでキレるようになっていった。その変化は猛スピードで、あれ?こんなんじゃなかったのに?と思う暇さえも許さずに。

もともとの気持ちの切り替えが苦手なところ、怒りっぽいところ、言うことを聞かないところは今までも見られてきた。保育園ではわんぱくだったけど、友達とのトラブルもあまりなく、保育園での困りごとは特にはなかった。発達面でいうといわゆるグレーゾーン、保育園より家での生活の方が大変なタイプで、だからこそこちらのアプローチ次第ではやってこれたか、それが小学校へ入り全く通用しなくなった。

癇癪なんて今までなかった。怒ることと癇癪は違う。それが全然違うことをのん太郎の姿をもって知ることとなる。

4月下旬よりのん太郎は、少しでも自分の意思と反する行動は受け入れられなくなっていった。のん太郎の日常を占める、着替え・入浴・食事・就寝に加え、遊びの切り上げ・テレビ・将棋ゲーム等々、生活していく上で大事な気持ちの切り替えとそれに伴う行動の切り替え。それらの切り替えがどんどん難しくなっていった。

今までももちろんスムーズになんていかなかったが、カウントダウン式で次の行動を伝えて、次の楽しみを伝え、なんとかやってこれた。それが心の扉を閉めるかのごとく、私の指示がのん太郎の心へほとんど届かなくなった。

それでも、時間の限界は来るもでの、時間の限界が来て仕方なくこちらが無理やりその行動をやめさせた場合の癇癪は、それはそれはひどいものだった。

そして今月に入り学校へ行きたくないと暴れるようたなった。その登校しぶりによる朝の激しい癇癪はすさまじく、家の物を壊し荒れ暴れ、暴言が止まらずこのままでは不登校になると思った。そして、このままでは私たち家族は破滅する。

改めて、こののん太郎の心の変化や癇癪が、全てが小学校というストレスによるものだと確信する。

私も小学校に入って、ここまでのん太郎が変わってしまうのかと悩み悲しみ苦しみ、それでも日々悪化する長男の相手に疲れ果て、それに加えあれだけ育てやすかった長女が兄の真似をするかのように激しい癇癪を起すようになり、もちろん2人同時に癇癪を起こす日もあり、私一人ではどうにもならなくなっていった。

夫に会社を遅く行ってもらったり、手をつけられない長男の抑制のために大事な会議を欠席し早めに帰宅してもらったり、限界寸前だった。

もう・・・・ボロボロでした。

私が好きだった朝。1日のはじまり、外の空気を吸って、今日は何をしようかと考え、『よし!』と気合いを入れるところからはじまり、1日を生きてきた。

しかし今は深く眠れぬ夜が続き、気付いたら朝になっているという生活となり、しだいに朝になるのが怖く、夜眠れなくなった。またあの癇癪に付き合うのか思うと、何もかもが嫌になった。

何度も思った。普通の子が良かったと。

食事も喉を通らなくなり、旦那にも美羽の表情がなくなってしまったと言われ、このままでは家族がだめになると思い、なんとかなんとかやってきた。こちらが、どんなにどんなに頑張っても、様々な手段で長男の気質にアプローチしても彼は何も変わらなかった。

順調かと思われた入学式からの生活

振り返って見ると、4月の頭に入学式を迎えたのん太郎は、入学式にて少し注意をされたものの順調そのものだった。

朝は6時に目覚め、30分だけiPadで将棋のゲーム、勝っても負けても時間通りに切り上げ、6時半に朝食を取り、7時からはピアノの練習や自分の好きな勉強をし7時半に家て友達と登校するといった規則正しい生活が送れていた。

もちろん、学校の授業も順調だった。

帰宅すれば宿題に取り掛かり、宿題後は公園に行き友達と遊び時間になれば帰ってくる。

しかし、それは徐々に崩れてゆく。

それでも私はどこかで思っていた。この順調さ、きっと長くは続かない。だから崩れていくことは予測していたが、その崩れ方は尋常じゃなかった。私の心の準備は追い付かなかった。

結果的に、私たち家族だけの力では立て直すことができなかった。

10連休の前日よりのん太郎は、嫌なことがあると激高するようになる。

そして迎えた10連休。休みの間の行動の切り替えがほとんどできず、すべて自分中心で動くようになり、叱れば常に激昂するようになった。その怒りの頂点の時のエネルギーはどんどん増していき、キレる理由はなんでもよかったのかもしれない。

それでも、それでも….

その時はまだ家族だけの力で静めることができていた。

時を同じくして、のん太郎は、頻繁に『家を出ていく』というようになる。4月頃までは、実際に行動に移すことはなかったが、ある日を境に本当に家から出ていくようになった。はじめは心配になり何度もついていった。しだいに、走って逃げるようになった。こちらも追い付かない。

日々悪化していく。

昨日より今日、今日より明日、確実にその癇癪は増し癇癪時におけるのん太郎のエネルギーの強さも増していく。

暴言・妹の暴力、、、そして本当の意味の激しい癇癪がはじまった。

今思えば、学校のストレスが彼にとって限界だったのだと思う。

しかし、のん太郎の癇癪に力尽きていた私はもう寄り添う力は残されておらず、ただただ癇癪がおさまるのを待った。愛情なんてものは、もうなかった。

受け止め、いくら寄り添って寄り添って言葉がけをしても一向に変わることなく、その日々が繰り返され、『出ていく!』という彼をいつの頃か追いかけられなくなった。

何かあった時は、もうそれはそれでしかたがない。

そう、思ってしまう時があった。その回数は決して少なくはなかった。

気持ちに少しでも余裕があれば、出ていく彼を追いかけられるが、私の心はどんどん脆くなり、体は重く、長男を追いかける気力が残されていなかった。

真っ暗だった。

追伸:

のん太郎の確定診断が出たら、タイトル等も変更していきます。

引き続きお付き合いして頂けたら幸いです。

よろしくお願いいたします。

久しぶりの更新にも関わらず、読みに来てくださりありがとうございました。

いつもありがとう。

美羽