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ひとつ前の日記からの続きです。
→義母襲来、増した義母への嫌悪感。しばらく距離を置くことと決めた嫁
金曜日、夜の9時。夫帰宅。帰宅早々、仲良く喋る夫と義母。
優秀だったらしい幼少期の夫。のん太郎君とは全然違うのよ!とでも言いたいのかと思う程、幼少期の夫の優秀話に終わりは見えない。勉強だけではなく、美術もいつも(成績が)「5」だったらしい。勉強だけじゃないのよ!うちの子は!って言ってた。んなの、嫁の私からすれば超がつくほどどうでもいい。
本当どうでもいい。どうでも良すぎてもはや反応のしようもない。
しかも、40近い息子に今更さ美術の話…?ちゃんちゃらオカシイわ。
夫も夫でさ、普通さ自分の小さいころの話なんかされた時には
「もう昔の話なんだからやめてくれよ~」とか言わない?ねぇ、言わない???
うちの夫なんか、自分の優れていた幼少期の話を義母がしようもんには、自分からのっかっていくからね。そんな時、私はとても冷やか目で二人を眺める。しかし眺めた先にあるウリ2つの顔。それにもうんざりとするのだ。
夫と義母、顔があまりに似すぎていて私はそんな2人に嫌悪感すら覚える。(こんなことここでしか言えへん。)けどね、気持ち悪いくらい夫と似ている義母の顔が私は心底嫌い。
私は翌日の運動会の準備をそこそこに、この2人の会話をこれ以上は耳に入りたくないと思い、先に寝ることにした。
話が盛り上がっているせいで私の「おやすみなさい」の声にすら気付かない義母。もはや目には息子しかうつってない。大好きな息子、大事に育てた息子、今でも立派な息子だと思い込んでいる。いつも思う、お前の息子そんな立派じゃないけどなって。
そして、私は絶対に義母のようにはなりたくないと毎度ながらにつくづく思う。
私は子供が生まれて気付いことが一つある。
前々から義母は息子のことが大好きだとは思っていたけど、孫が生まれてもなお自分の息子が一番である。大好きである。
今年の冬もまた、寒くなってきましたがともくんはマフラーをしていますか?と、義母より防寒確認メールが届くのだろう。あぁ・・・嫌気がさす。
さて、翌日の運動会。(これでもまだ義母襲来から2日目)
最後の運動会。
うちの母と父も合流しのん太郎の運動会の観戦だ。
早生まれだから小さい方と思っていたが、最近では回りの子と背も体格いつの間にか大きく差がつきはじめ、だいぶ小さめのん太郎。年中クラスのお友達にはすっかり抜かされ、年少と混じっても違和感がないほどである。
うちの母が悪気なくこんなことを言う。
「あら!のん太郎君って実は小さい方なのね!」と。それを受け私は
「小さいも何も、クラスで一番小さいし、女の子にもどんどん抜かされていて最近はそれを本人がけっこう気にしているのよ」と、話した。
私も夫も2人とも背が高いので、いつか高くなって欲しいと願っている私たち。
しかし、その会話にしゃしゃり出てくる義母。ここからは、ぜひともノンストップで私の心の声とともにお聞きください。
義母
「あら?まだ5歳ですもの、そんなこと気にしなくて大丈夫よ。うちのともくん(夫)なんてね、ずっと背が小さかったのよ。小学校1年生の時は1番前で、2年生から4年生までは前から3番目。5年生と6年生の時は、また抜かさちゃって前から2番目だったのよ。(おいおい、そこまで覚えててむしろ気持ち悪いって)
けどね、そのあと、毎月ちょっとづつちょっとづつ伸びていってね、高校生の時は170cmだったのに、卒業の時は176cmあって、ほら!今は180cmに近いでしょ?のん太郎君のパパがそういうタイプだったから安心してちょうだい!ねぇおかあさん!(←私の母)
おほほほほほ~!!(え?何の笑い?)
ね!ほらね!安心できたでしょ!だから、絶対にのん太郎くの身長はこの先のびていくから大丈夫よ!!!絶対によ、絶対に大丈夫よ。(絶対にって3回言ったぞ)
そうそう!だってね、小学校の時一番後ろだったともくんの幼馴染に山川君。美羽さんも会ったことあると思うけど、今となっては背が高くないでしょう?(おい!人と比べるのが嫌いってって言ったの誰だよ)
だから、大丈夫よ!!!今の身長がすべてではないわ!!!!」
はい。うちの父、母・・・あ然。
そして、うちの母の第一声・・・・
「よく、そんなに覚えてましたね!すごいですね。」
だよね・・・感想、そこだよねwww
実父もとりあえず言葉を返す。
「じゃあ、のん太郎君ものびるかな!?」
しかしいい歳した自分の息子に、”うちのともくん”って・・・。どこのともくんだよ。
しかし、父の言った”のびる”という言葉がまたいけなかった。
「そうよそうよ!身長もね、のびるわよ。そうそう、のびるといえばね、学校の成績は常にトップクラスだったわよ。私ね、勉強しなさい!って言ったことがなかったのよ。それにね塾も行ったことがなかったわ!テストの成績もずっとよかったのよ。
だから、のん太郎くんも絶対に絶対に絶対に(また3回言うた)お勉強できるから、おかあさん、安心してくださいね!ともくんの血が流れてますから!のん太郎君にはしっかりと流れてますから。
あ!けど、”のびる”という面では違うわよね。成績はずっとトップだったから、下から伸びたわけではないわよね。お勉強、ずっとできたからね、だからのん太郎君のこと、美羽さんは色々と心配なさっているみたいだけど、大丈夫ですからね!!!!」
まじ、ほんとマジ、だれか止めろ。
冷静に考えて、パパの血が流れているからのん太郎も頭がいいだろう発言、うちの両親にも失礼じゃないか?つーか、あんたの息子、一浪してるし、その時予備校にだって行ってたぞ。どれだけ過去を美化してるんだろ。
まぁ、止まらない止まらない。
私は、確保している自分の場所には戻らなかった。運動会の合間の義母の話の相手を母に任せてしまった。ちょっと悪いことしてるなと思ったが、最後の運動会・・・楽しみたかった。パパもパパで、仲の良いパパ友達と楽しく時間を過ごしているようだった。
運動会終わって、母にお礼の電話をした時に言ってた。滅多に人のことどうこういう母ではないが、今回ばかりは疲れたと。疲れた理由を聞くと、義母は終始ともくんの幼少期の話、自慢話を母にし続けたらしい。それはそれはすごかったと。容易に想像がつき、ごめんねとしか言えなかった・・・。母はあなたも大変ね、と言った。
そして私の母、義母より驚くことを言われたと話をしだす。
私が働いていた時に週に1度、保育園のお迎えをしていた時にのことを義母に話したらしい。
うちの母が
「美羽が仕事から帰ってきて私が帰るときに、必ず孫たちには玄関までお見送りしてねって言ってるんだけど、2人と遊びに夢中で玄関までバイバイしてくれない時もあるのよ!」と。
実母はその場を和ませようと言ったらしい。まぁ実母は実母で天然だから往々にしてその意図がズレることがあるのだが・・・その話に義母は思わぬ形でのっかる。
義母は言う
「あら?私が帰るときも、孫たちは知らんぷりだし、美羽さんも送りになんてこないわよ。それに、ともくんが仕事に行くときでさえも美羽さんも子供たちも玄関へお見送りに来ないから、きっと美羽家はそういう家訓なんだわと思ってたわ。そういうご家庭に育ったのかなと思ってたけど違うのかしら。」と。
さすがの母もカチンと来たらしいが、和やかにすませたらしい。
だから私に
「あんた、ちゃんとパパが仕事へ行くときに玄関までお見送りしてるんでしょうね?」
と、確認をしたかったようだ。
いやいやいやいや、その前にだ!新潟へ義母が帰る時の見送りができないのは、最近まで仕事をしていたわけだし、仕事をしていた時、私や子供たちの方が早く家を出て、その後義母が新潟へ帰省するからお見送りができないだけで、お迎えはしてるじゃん。なんなら帰りのタクシーの手配、嫁の私がしてますが!
しーーかーーもーーー
なぜ、ともくんが仕事行くときにお見送りもしない!なんて勝手なことを言うのだろう。子供たちも含めいつも3人で玄関までいってらっしゃいをするのが我が家の朝の儀式だ。
義母は何を見てそう思ったのかわからないが、母には気まずい思いをしたわよ!と言われてしまった。
なんかさ、義母は私のことを新潟でのご近所や親戚に、いったいどんな話をしているんだろうかとおもったわ。まぁ、なんかどう思われてても別にいいんだけど・・・。
ただ、私は今まで義母に対し
”この人は悪気なく人を嫌な気持ちにさせることを言う天然の人。天然だから人の話を聞けないのだ”と解釈をしていた。
全国の天然の皆様、本当にすみません!!
私は、義母は天然だからそこに悪意はないし、それなら私が我慢していけば丸く収まると思ってた。
けど、違う。全然違った。12年目の真実である。
悪意のある天然。自分の意見を絶対に曲げない天然。自分の生き方や育児が一番正しかったと思い込んでいて、それを人に押し付けるおばはん。そして、自分と考えの違う人を受け入れられない心の持ち主。
私は今回の襲来で、色々義母に対する気持ちが大きく変化した。
違うことは違うと言うようになった。
義母帰省した翌日。夫から・・・
「今年の冬は新潟へ長く帰りたいと思ってるよ」と、軽く、さらっと言われた。
義母が帰った疲れ切った私の心に、また新潟帰省の話?ふざけんな。
だから、いつもなら絶対に言わない一言を言った。
「ごめん、今年の冬は新潟には帰らない。」と。
まだまだ続きがあるので、もう1ページいい・・・?
いつもすみません。
話し出すと止まらないの~!!!!
いつもありがとう。
美羽