ADHDの子供を育てるということ

小学2年生になったADHD長男、日々の生活の苦悩と喜びと現実と

ご無沙汰してます、いやご無沙汰しまっくております・・・。ご記憶にございますでしょうか・・・?みゅうです。

いつの頃からか自分の年齢も本気でわからなくなってきた今日この頃、サバだけは読まぬよう気を付けておる次第です。(久々なのに何の話?)

読者様に言われて気付きました。最後の更新から1年が経過している・・・。

その間に世の中は一変しましたね。皆様におかれましても、大変な日々をお過しのことと存じます。

こちら感染者の多い地域に住んでおり、幼稚園は夏休みまで休園状態で9月になり、ようやく長女のん子は年少さんとして幼稚園に入園することができました。

幼稚園の入園式も全員マスク、先生もマスクだから顔の見分けもつかない。幼稚園の生活が始まったものの、園生活でもマスクが必須であるため長女のん子はお友達のお顔を覚えるのに、マスクの柄で覚えてました。子どもって柔軟性があるなぁと思ったと同時に、幼稚園=マスクでの生活の場となり、通常を知らない年少さんたちにとってなかなか慣れない幼稚園生活の幕開けとなりました。詳しい話はまた次回・・・・。

さてさて、我が家の長男のん太郎は小学2年生になりました。しかし緊急事態宣言から休校となり、学校が再開したのは夏休み前。夏休みは縮小されたものの、現在は休校にはならず2学期も終盤とまりました。冬休みも1週間に縮小されぎりぎりまで学校の授業があります。

感染者も多い地域に住んでおり、いつ休校になってもおかしくないので勉強は急ピッチで進んでいるようです。学校の先生にはいつも頭が下がります。

学校の先生といえば・・・・1年生の時のあの素晴らしい担任の先生に2年生の今も受け持って頂いております。先生も学校も、担任の先生を変えたらのん太郎はやばいだろうなぁと、良い言い意味で判断してくださったのだと思います。(笑)

こちらの地域、緊急事態宣言中もそれ以降も小学校は全面休校となりました。

休校中・・・・長い長い休校中・・・・・のお話をさせて頂くと、学校のある時間帯は全て学校と同じ時間割りで過ごしておりました。毎日毎日、同じリズムで。

入学し、3学期あたりでようやくできた学校のリズム。休校によりリセットされてしまうのではないかという恐怖、そして小学校に散々お世話になった1年間(1年生)、それを崩してはならない、親としてできることは学校が再開になった時すぐに授業スイッチをオンにできるようどうすれば良いか考えました。

まず、学校のチャイムをダウンロードしました。給食のメニューを冷蔵庫に貼り、国語と算数のテキストを買い・・・私が学校の先生になりました。

8:35にスマホから予鈴であるチャイム音を鳴らし、授業の準備をさせ8:40には本チャイムを鳴らしママから先生へと変わり、学校の授業をしました。1時間目は国語、2時間目は算数。一緒に教科書に沿って学びました。今思えばよくやったなぁと思いますが、リズムを崩さないようにともう必死でした・・・・。先生は毎日私で、日直は毎日のん太郎でした。

10:20になれば、20分休みというものが定着し、3時間目は体育ですぐ近くの公園で体操、4時間目は学校より少しレベル高い問題集を解き、終業のチャイムとともにお昼ごはんという名の給食。

昼休みをはさみ、5時間目は図書の時間や脳トレの時間とし、5時間目が終われば”放課後”となり自由時間としました。その自由時間に付き合うのも緊急事態宣言中は容易に外で遊ぶこともできないので家での遊びを工夫していくのが大変でした。人生ゲームやドラえもんのすごろくには大変お世話になりました(笑)

学校(授業)のある時間帯は家でも同じように過ごすという強力なルールのもと学校が再開となるその日まで続けました。

もちろん日中のゲームなんてご法度です。定型児ならゲームの1つや2つ許していたかもしれませんが、発達の凹凸のある子の場合、そこから抜け出すことが容易ではないことを知っていた為、ルールだけは徹底し守らせました。

7月になり学校が再開。それに伴い、おうち学校の生活は幕を閉じました。

もう一つ、大きな変化がありました。得意だったスイミングをやめ、将棋もやめ・・・・

サッカーを始めました。

チームプレイなんて向かないだろうと思っており、見学へ行ってもやらないだろうと思っていたものの、見学へ行ったその日からサッカーというスポーツに魅了されていきます。

ちょうど去年の今頃、サッカーと出会い、その日を皮切りにのん太郎の生活が変わっていきました。

1月の誕生日にはあれほど欲しいと言ってたswitchはいらないと言い、サッカーを始めるにあたって必要な、ボール・すねあて・靴・バック・ユニホームを買いそろえて欲しいとお願いされたことを今でも鮮明に覚えています。

一緒に買いに行き、それから毎日毎日練習。うまくいかなくて癇癪を起したり、ふてくされたり、泣いたり、超絶面倒ななんですが・・・それでもやめることなく、めげることなく続けており1年が経過。本当に好きなんだなぁと、ボールを追いかけるのん太郎の背中を見て思います。

チームの練習だけではうまくなれないと判断したのか、スクールに入りたいと直談判。今や3つのスクールを掛け持ちし、ほぼ毎日サッカー漬けの日々を送っております。

サッカーをはじめて1年、先日初めてレギュラーに出させてもらうことができ、勝っている試合の後半だけでしたが、それでものん太郎にとって大きな大きな1歩となりました。

1年前全くの素人で入った為、今のその成長ぶりはチームの親御さんたちの目にもとまり、沢山の方に声をかけてもらえるようになり、サッカーを通しのん太郎の”こころ”は少し成長したのかなと思います。

さてここでも強力なルールがある我が家です。

『何があっても学校が一番大事!』←これです、これ!

学校でクールダウンをしなければならないほどの癇癪があった時、立ち歩きをしたとき、授業を自己都合で出られなかった時、そんな時は、その日のサッカーの練習はいかなる理由があるとしても、出させません。

先日は、平日に練習試合があったのですが、学校での生活がNGだったため、行く予定だった練習試合をキャンセル。費用だってかかる試合でしたが(支払い済みでした泣)、行かせることはできませんでした。

まぁ、本人は学校から帰ってきて、自分は行くつもりルンルンだったのに、連絡帳で学校での様子を私が知ることとなり、行くことを断念。まぁ・・・のん太郎は荒れに荒れましたわ。

荒れるだけ荒れて落ち着いた後は泣きながら・・・・

「なんで学校の授業を頑張れなかったんだろう・・・」と、また泣いておりました。

それを”後悔”と言うんだよと教え、まぁ・・これほど後悔しても2週間後にまた同じことを繰り返すんですが、まぁそれが発達障害児の子育てというもので、日々忍耐と苦行ではありますが、家族みんな振り回されながらなんとか生きてます。

書きたいことは山ほどあって、のん太郎のお薬はひとつ増え2種類になるし、通級などのことも話したいことはたくさんで。

でも、取り急ぎ”1年ぶりの更新!”とさせていただきます。

いつもありがとう。

更新がない間のコメントさんやメッセージさんを頂き、本当にありがとうございました。

美羽