ご訪問ありがとうございます。みゅうです。
今朝、また悲しいニュースが飛び込んできました。
自宅で長男(3)を殺害しようとしたとして、静岡県警細江署は29日、殺人未遂の疑いで浜松市北区大原町、無職鈴木早紀容疑者(38)を現行犯逮捕した。長男は搬送先の病院で死亡が確認された。同署は容疑を殺人に切り替え、詳しい状況を調べる。
細江署によると、鈴木容疑者は容疑を認めている。同日正午すぎ「子どもを殺してしまった」と自ら110番した。署員が駆け付けると、長男の大貴ちゃんが居間で倒れており、意識がない状態だった。
大貴ちゃんに目立った外傷はなく、同署は遺体を司法解剖して死因の特定を進める方針。
抜粋:Yahoo ニュース
悲しい事件がおきてしまいました。
勝手な憶測だけど、もちろん子供を殺めてしまった母親が事実一番悪いのだけど、もしかしたら突発的な状況だったんじゃないのかな・・・・と想像し、悲しく辛くなりました。
決して擁護しているわけではないけれど、目立った外傷がないのなら、日常的な虐待ではない可能性があり、なんとか頑張って育ててきたけれど、3歳ともなるともう可愛いだけじゃすまないことが沢山でてきて、日常の中でこちらもカーッと頭に血がのぼることもあって、それで・・・・・
だからそのお母さんも
一瞬、我を忘れカッとなり、気付いた時にはもう遅かった・・・。
虐待に関する悲しいニュースを聞くたび、 そしてそれが衝動的に母親がとってしまった行動と推測される場合、思うことがあります。
その子どもは、定型発達だったのか?と。
発達障がいの有無はニュースでは報道されないけど、事実、発達障がいじゃなかったら防げた命は、この世にどのくらいあるだろうと。
子が発達障がいじゃなかったら、我が子を心からかわいがることができた母親がどれだけいるだろうかと。
親の異常性がない場合や、日常的に虐待根のない子の死亡事故を聞くたびに、今報道されているニュースは、果たしてこれは他人ごとだろうかと思うことがある。
そう思う私は、どうかしているのだろうか。
世間が感じる印象として、こうなる前に・・・とか、まだ3歳なのに・・・とか、誰かに頼れなかったのか?とか、行政は何してたの?とか、私ものん太郎を育てていなかったら、そっち側のそう思う人間だったかもしれない。
けど、そう思うことが通常ではない、育児の日常があることを知った。
それに育児といっても、母親といっても、私がもしも長女のん子(2)だけの母親だったとしたら、きっと私はのん太郎のようなタイプの子を”育て方によるもの”と判断をしていたと思う。
最近よく行く児童館の先生に、こんなことを言われました。
「のん子ちゃん、”いい子でいよう””ちゃんとしよう”という気持ちがとても強いように思えます。ここは家ではないからとのん子ちゃんなりに自覚し、わがままを言わないようにしようとか、行動も自分の立場をわきまえていると思いますよ。けど、それはママの育て方が良いのね。」と。
他のママさんからは
「のん子ちゃんの優等生っぷりは、どう育てたらそうなるの?」と。
のん子がらみで知り合ったママさんたちは、破天荒ののん太郎の存在を知らない。
育てやすい子は、育て方が良いから『育てやすい』のならば、育てにくい子も育て方がよくないから『育てにくい』。まぁ、、そう思うのはごく自然のことなのだろう。
私もものん子だけを育てていたら、生まれ持った気質よりも育て方次第という考え強く、自分がちゃんとしているから子も”ちゃんと”すると、思い込んでいたでしょう。
もしかしたら私のそんな浅はかな考えを払拭するためにのん太郎は私のもとに生まれてきたのかもしれませんね。しかし、これはいったい何の試練だ思うこともしばしば。最近、またちょっとしんどい期間が続いています。
その積み重なる試練が、時に親を狂わせます。
グレーゾーンで診断がつかない子もいれば、診断がはっきりとつきタイプの子とそれぞれでしょうが、診断がつこうがつかまいが、育てにくさという面は変わらず、それでも育児は続くわけで、診断がついたからといっても何か早急に解決される手立てがあるわけでもなくて・・・育児の苦戦は続きます。
発達の凹凸があるからそれは個性だからと言っても、子の行動の全て許されるわけではなく、実際は子の行動のほとんどを注意さぜるをえないものばかりなのではと、思います。
そして、その注意の連続で母は疲れる。心も体も。なんでこんなに怒ってばかりなのだろうかと。発達の凹凸があるとわかってはいたとしても、なぜこんなにも同じことを注意しなくてはならいのかと、そしてその注意の仕方が加速する。
子が何らかの発達の凹凸があっても、それを母親としてうまくアプローチし育児をしてますうっていう方もお見受けしますが、それは実際のところごくごく一部なんかじゃないかと最近はそう思います。
凹凸の子をもつ多くの母親は、日々悩み、子が成長しても悩みは解消されるばかりか、増える一方で、出口なんか一向に見つからない。
子育ては皆が悩むものよというが、その質は明らかに違う。
そしてその悩みがなんとか許容できるか否かも、母親が100人いれば100通りだし、ストレスのかかり方も様々なわけで・・・
だからね、悲しいニュースをみるたびに、まだ自分は大丈夫か・・・と思うし、どんなに怒っても最後の一粒の平常心だけは失わないようにしようと思うのです。
以前話した、寒い時期でいったママ友とのじゃぶじゃぶ池のある公園。池で遊んでもいいけど、寒い時期は水が冷たいし、風邪をひいたら自業自得だよってことで、池で遊ばせてた時のママ友からの白い目線・・・
うちだったらそこまではやらせないから、あそこまでやらせてて本当に偉いねっていう、”偉い”なんて微塵も思ってもない声掛け・・・。
けど、私もそっち側の人間になってたかもなぁって思う。
そっち側の人間の目が、どれだけ刺々しいものかなんてきっと何も知らずに子育てをしてきたんだと思う。だって、のん子だったら絶対にその池には入らないもの。
のん子を通し、のんたろうと同じ気質の子と出会うことがあります。疲弊しているママに一度、育て方じゃないよ、生まれ持った気質って大きいと思うよと、話したことがあります。
一度言えばわかるのん子だけを育てていたら、その言葉は出てこなかった。
悲しいニュースを見るたび、再び悲しい事件事故が起きないように願うと同時に自分は大丈夫かと思うのでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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少し話がそれますが・・・
今の時代の子育てのしにくさの、一端を担っている義母。(少なくとも私はそう思っている)
お正月に新潟に帰ったときに義母にこんなことを言われた。
「今の人はなんでそんなに働きたがるのかしら。節約をすればなんとかなるものなのに、きっと今の人は物欲の”我慢”ということができないから、働いてでもお金が欲しいんでしょうね。私なんて、仕事をしていたけど、子どもが授かったらすぐやめようと決めてそうしたわ!それで本当良かったし、働こうなんて微塵も思わなかたわ!」と。
それ、私の前で言うかね?
”女性が働く理由はお金だけではないと思いますよ”と言いかけたが、義理宅の親戚一同が集まっていたのでやめておいた。
まだ話は続き・・・
「私は、子育てで嫌なことなんて、ほんとっっっに、何もなかったわ。ひとっつもなかったわ!今の人の子育てのストレスが理解できないわ!」と言ってた。
いちいち言葉をそうやって強調するのやめてよ、思いつつ・・・
あぁ~こういう発言やこういう人間が、今の育児のストレス化を助長させているんだろうなと痛感。私、この人とよくやってるわ~10年も。
そもそも家庭崩壊だった夫の家族。それは長きにわたるが、義母は思い返しても嫌なことが何一つなかったと堂々と私に言う。娘がリストカットして救急車で運ばれたのはまだ10年ほど前のことだが・・・・いやぁ、美化するにもほどがあるでしょう・・・と思うけど、まぁそれが義母だなと冷やかな目でみる嫁です。
せめて自分が、子どもを通じて知り合ったママさんの育児のストレスにならないように、発言には気をつけようと、改めて思うのでした。
いつもありがとう。
美羽