ADHDの子供を育てるということ

1人目に似ないで欲しいと思いながら2人目を育てることは間違いなのか

ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

さて、今日は2人目育児について私の正直な気持ちを書いていこうと思う。

実は書くかどうか迷っていて、言葉を選んでは消し選んでは消しの繰り返しだったけど、ここは私の唯一の本音を出せる場所だと思い、辛辣な表現もあるかもしれませんがお付き合い頂ければ幸いです。

長女(2歳)のん子のことです。

1人目と同じように育てられない2人目育児、その私の葛藤

長女のん子は産まれた時から育てやすく0歳の頃からよく寝て(離乳食も)よく食べ、1歳の頃はおとなしく人見知りも強かったので、外出時もママの傍から離れずじっとしてくれるような子だった。

たしかに、大泣きからの癇癪や癇癪時に髪をむしり取るなどの心配な行動は見られたものの、それはのん太郎の時との比にはならなかった。

外食時も食べることが大好きなので、ずっと席に座っていられるし”頂きます”から”ご馳走様”をするまでとりたて注意することもなく、私も自分の食事を楽しむことができた。

のん太郎の反抗期は3歳からはじまったものの、新生児の時は本当に寝ない子だったしその後も0歳の間は寝かせつけがとにかく大変だった。ベットに置けば、俗にいう”背中センサー”が作動しですぐに起きるようなタイプだった。

1歳になり夜は寝れるようになったものの、今度はわんぱく精神が開花し外食ひとつ大変だったし、子供を連れてショッピングなんて絶対にできなかった。もちろん、それでもとても可愛かったのだけど。

のん子を育ててまだ2年半だけど、のん太郎育児で苦戦した”寝る”ということも難なくクリア。1歳をすぎお昼寝をしてくれなくなったのん太郎とは正反対に、のん子はお昼ごはんを食べ終わると自分から「眠くなってきちゃった。ママ、一緒にねんねしよ?」と言う。夜の睡眠だけじゃなく、お昼寝も全く手がかからない。

寝かせつけも、昼に限って言えばものの1分程度のトントンで夢の中だ。のん太郎は、お昼寝が大嫌いだったから何度もベットを抜け出してきたし、”寝たくない!”と泣き喚いた時もあった。

のん子が生まれて2歳になり、のん太郎は3歳からが大変だったって思ってたけど、本当は生まれてからずっとずっと大変だったことに気付く。たまに、私よくやってきたな・・・と思ったりもする(笑)

月齢があがりその大変さの内容が変わり、ただそれを私が許容できなくなっていっただけだったんだなと、また違う見方をするようにもなった。

可愛いけどずっと大変なのん太郎育児、その”大変さ”を少しでも切り抜けるため、少しでも人に迷惑をかけないため、あの手この手を家でも外でも用意をしてきた。そのスタンスでのん子と接するとのん太郎の時の育児との違いを痛感する。のん子は、のん太郎の時に用意した私の”あの手・この手”を必要としない。

外食すれば落ち着いて食べられるし、ついつい大変さの記憶が体に染みついてしまっている私は、外食”ということに身構えてしまうんだけど、あれ?なんでこんなに楽なの?と拍子抜けをすることが続き、それは色んな場面で見られるようになった。

のん太郎とは全然違う、同じように育てているのに、こうも違うんだと思うようになっていった。

こんなこともあった。

耳鼻科の待ち時間。のん太郎は、とにかく”待つ”ということが苦手だったので、とにかくじっとなんてしていられないから、ましてや小児科受診の順番待ちとなれば彼にとっては苦痛でしかなかった。

今となってはインフルエンザすらよせつけない風邪のひかない男へと成長してくれたので、体調不良でお世話になることは少なかったのが不幸中の幸いといったところだろう。

そんなことを思い出しながら、耳鼻科へのん子と一緒にいった時のことだった。

時おりお世話になるその耳鼻科、とにかく待つので朝一番で受付に受付にならんだ。名前が呼ばれるまで外で待ち待合室でも待ち、待ち時間としては40分と覚悟していた。そう、この時も私はのん太郎育児の経験上身構えている。リュックにはのん子が時間をしのげるグッツをたくさん詰め込んでいた。それは、徒歩5分程度の耳鼻科へ行くとは思えないほどのリュックの重さだった。

そして、耳鼻科へ到着しとりあえず並ぶ。こちらはすぐにぐずるだろうと踏んでいる。ぐずったらあの手この手を・・・と頭の中で計算をする。のん太郎の時で慣れている。

しかし私の手を握り締めたまま、私の横に立ち”待つ”という時間を共有してくれてる彼女。

まだまだ片言の日本語だけど、おしゃべりをしながら耳鼻科のドアが開くのを待つ。あの手この手と用意してきた絵本もお絵かき帳も、まだ私のリュックの中に入ったままだ。

待つこと30分。リュックの中身を出すこともないまま、結局外で手をつないだまま、おしゃべりをしたりお歌をうたいながら、のん子は同じ場所で待つことができた。

いわば、私にとっては”奇跡”だった。

そしてまた思う・・・のん太郎と全然違うなと。

保育園でもそうだった。よくいく児童館でも、人見知りが基本性質なのでお友達と同じおもちゃで遊ぶことなどはできないが、おもちゃの貸し借りはこちらの声かけは特にいらない。

まだ使いたいときは”待っててね”と言い、使い終わるとどうぞという。貸して・どうぞのやり取りも困ったことがない。

急に知らないお友達におもちゃをとられても、それでモメることもない。おもちゃを取られたのん子に”ごめんね”と声をかけるそのママに、私はのん太郎の時の自分を重ねる。

のん太郎はとにかく物の貸し借りが苦手だった。お友達の家でおもちゃを借りているにもかかわらず、自分のおもちゃは貸せないといったことが多かった。

今ならそれも個性よねと言える。貸せない理由は彼のこだわりだったと思うけど、やっぱり大変なことも多かった。

それに今ならね、今なら・・・・

のん子のように貸し借りが上手なことが絶対的に良い事だとも思わなくなった。それは親にとっての良い事だったんだなと、冷静に思える。だから、のん太郎のように頑なに貸せないことも、貸せることと同等に尊重すべきことだったんだなと、振り返ってみて気付かされた。

親の都合や親の尺度で、子供の行動やこだわりの良し悪しを決めてはいけないことを、今対照的な2人を育て私は学んでいる。

ただ、のん子のそういう”育てやすいところ”や、そのおだやかな性格に私は何度も助けられてきたことも事実。私が悲しんでいると、何も言わなくても頭をなでてくれる。そんな優しさを大切にしていきたい。

こんなことを言ってはどうかと思うが、のん太郎の存在を知らないのん子の同級生ママさんに児童館などで・・・

「どうしたら、そんなに貸し借り上手な子に育てられるんですか?」とか

「おとなしくて穏やかで、きっとママがそう育てているのね」とか

「うちの子はもう大変で大変で外食ひとつできないから羨ましい・・・」とか

言われると・・・・なんでしょう・・・詐欺師の気分になります(笑)

私はその言葉をかけてくるママの気持ちがわかる。時には、うちの子は大変で・・・と言われることもあるが、それは大変のうちには入らないぞ・・・思うことだってある。

けど、そんな時はきまって

「育て方だけじゃない、本人の生まれ持った気質って思っている以上に育児を大きく左右すると思いますよ!」

と、言うようにしてる。

そんな、のん子育児である。

今はよくても、この先をずっと心配している私

最近では外ではおとなしいが、家ではけっこうおしゃべりなのん子。一番好きな存在は変わらずにいにであり、よくにいにの行動の真似をするようになってきた。

のん太郎の行動を私もだいぶ許容できるようになってきたが、のん太郎の行動をのん子がまねるとなると、それはまた話が別だ。もう全然別。

私ね、のん太郎はのん太郎として可愛いけど、正直に言う。正直に言うね。

のん子がのん太郎のようになっては困る。

私はのん子を育てながら、その気持ちが根底にある。上の子のように下の子も育って欲しいと言えるママさんが羨ましい。

1人目に似ないで欲しいと願う2人目育児は間違えなのか

のん子がのん太郎に似ないで欲しいと思って子育てをしている私は間違えなのでしょうか?

その答えは出ません。

1人目に似ないで欲しいという気持ちと1人目を愛していないという気持ちはイコールにはならない。それだけは言える。

ましてはのん子は女の子。のん太郎のその突き抜けた性格や行動は”男の子だから”という言葉で助けられてきた部分が多く、今の時代男の子だから女の子だからというのは違うのかもしれないが、私はのん太郎を育ててきて強く思う、のん太郎がもし女の子だったらと・・・私は今以上に大変だったし、苦しんでいたに違いない。

来年の、のん太郎が新1年生となるその月にのん子は3歳となる。3歳というのは・・・・のん太郎の反抗期がはじまった時期。私はどこか心の中で、のん子も同じ道を辿ったらどうしようという気持ちがあって・・・・

最近はその気持ちが増していた。

だからか、のん子に少し厳しく接してしまうところがあることを私自身自覚していた。

のん子がのん太郎の真似をするときは必要以上に「のん子ちゃんは女の子だよ!」と言い、っその私の言葉は確実に増えていった。

だからのん子が2歳半となり3歳のお誕生日まで半年をきった今、のん太郎の3歳の反抗期を思い出しては、のん子が同じ道を辿らないよう辿らないよう、先手を打っておけるなら打っておきたいと思ってしまう。育児にそんな先手なんてないこと、自分がよくわかっているはずなのに、それでもそんなことを思いながら私はのん子と接してしまう。自覚している。自覚しているが、この気持ちはどうにもならない。

ママのお話を聞いて欲しい。女の子らしくいて欲しい。穏やかなままで成長してほしい。

のん子ものん太郎と同じように反抗的タイプだったら、のん太郎一人でも手を焼いているのにそれが2人となったら・・・正直辛い、しんどいよ。そして、のん太郎の時に抱いたあの時のあの真っ暗な気持ち、また同じように抱きたくない。

こんな風に思うのは母親としてどうかと思うし、のん子はのん子らしくと思う反面、どうか聞き分けの良い子になって欲しいという私の気持ちも強い。

そんな中、のん太郎にこんなことを言われた。

私がのん子に

「何度も何度も同じことを言われてちゃいけないよ。10回も20回も同じことを言われて、ママの言うことができたとしても、それはできたうちには入らないよ。」と言ったことがあった。

2歳半の子に言う言葉ではないのはわかっている。それでものん太郎の子育てに苦戦してきた私にとっては、のん太郎のようになったら大変だ・・という気持ちがどうしたって強い。

しかし、そんな私の言葉にのん太郎が敏感に反応する。

私の葛藤なんぞつゆ知らずののん太郎は純粋な眼差しで私に問う。

「10回も20回も言われても、のん子ちゃんは、今それができたんでしょ?それはできたうちに僕は入ると思うよ。ちがうの?」

と言う。ち、ち、ち・・・違ってはいないが・・・。

しかし大人げなく、のん太郎の問いに

「けど、ママはね、一度言っただけで、ママのお話を聞いて欲しいの。何度も何度も同じこと言わせないで欲しいの。」

と反論をする。

しかし、のん太郎はその私の反論さえも押しのける。

「けど、子供はみんなそうだよ。保育園の○○くんだって(学級委員タイプのしっかり者君)、先生に何度も同じこと言われることだってあるんだよ。

それでに、ママは、待てないの?何度も同じこと言わないで待ってあげればいいでしょ?」

なんと返せばいいか言葉を選んでいたら・・・

「それにさ、のん子ちゃんはまだ2歳だよ?2歳はまだわかんないことばかりだよ。」

という。

そして最後にトドメを刺すのん太郎。

「ぼくさ、ママっていつも、何でこんなにうるさく言うんだろうなっていつも思ってるよ。」

”いつも”って2回言うた。

そして、何本かの矢が私の心を貫通していきました。

待つことは育児の基本中の基本でしたね。

子どもの言葉というものは、育児書よりもずっと大切なことを教えてくれる時がある。そして時折こうしてのん太郎の返しに言葉が詰まるのでした。

のん子を育てていく上での私の葛藤、色んなことを思いながら私は日々過ごしている。そして結局私はのん太郎に手をやいている。そんなのん太郎、来週は就学時前健診だ。周りのママたちはは、健診にかかる時間を心配しているけど、私は別のことを心配している・・・。

いつもいつものん太郎優先で、のん子には申し訳ないなと思いつつ、それでものん太郎優先になる我が家である。そして優しいのん子に救われる。

いつもありがとう。

美羽