ADHDの子供を育てるということ

長男5歳の育てにくさを感じ医療機関へ相談してみることにした

ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

まずは、コメントさんありがとうございます。

子供が寝静まったあとゆっくりと何度も読ませて頂いてます。なかなか育児の記録を書く気になれず、ゆっくりとパソコンを開く暇もなく・・・コメントさんのお返事が追い付いておりません。読み逃げのようで、すみません。ありがたく読ませていただいております。

いつもありがとうございます。

良い時もあるが大変な時もある長男5歳のん太郎。そんな長男5歳の大変な時に焦点をあててみたい。

そうすると見えてくる育てにくいと感じる彼の性質。良いところは大切に、母親として大変だと思うところは少しでも改善していけたらと思う。

そして良いところがたくさんあるからと、改善すべきところをうやむやにしてはいけないなと、最近はそんなことを思う。

男の子はやんちゃなくらいが丁度いいっていうけど・・・

よく”やんちゃ”という言葉で男の子の行動を表現することが多々あるけれど、もちろんそれはのん太郎もそうなんだけど、これってどこまでが許容範囲のなのだろう。

人に迷惑をかけない範囲?命の安全が保障される範囲?親が許せる範囲?

怒ってばかりの時は、たまにその許容範囲が見えなくなる。人に迷惑をかけてはいけないよって常々教えているが私の伝え方がいけないのか、そもそものん太郎は”自分の行動のどこが人に迷惑をかける行為なのか”根本的に理解していないように思う。

自分を擁護するわけではないが、その伝え方の工夫を今までもたくさんしてきた。それでも、どうしてもなかなか伝わらないなと思うことがある。

3歳から始まった長男5歳の反抗期。もちろん多動や自閉症スペクトラム、アスペルガーといった発達障害を疑ったことは数知れず。しかし、一般的なチェックリストとのん太郎を照らし合わせてみると、当てはまるようで当てはまらない。

3歳児健診の時もひっかからず、保育園での、お遊戯・運動会等どれもこなせている。集団行動が得意な方ではないが、決して輪を乱すわけでもない。

もう少し様子を見てみようかと思い5歳となった。それでもやはり一筋縄ではいかない。

そして私が仕事を辞めたことでなお、やっぱり5歳にしては親の言うことを聞かなさすぎではないだろうかと、悶々と思うようになった。

このまま小学生、中学生とかになったら・・・と、少し先の長男の将来が心配になる。5歳になり、年長組となり、ゴールデンウィークあたりは落ち着いていたんだけど、最近やっぱり長男の子育てにおいて悩むことが増えたので、専門機関への相談を決めた。

9月5日の予約とし、一般診療を終えてからの相談となるとのこと。午後12時半の予約となった。

不思議と受診すると決めてから、それだけで気持ちが少しだけ楽になったところがあって行動に移してみるって大事だなと思った次第だ。

実際、いつから育てにくさが表立ってきたのだろうか

受診に際しのん太郎の5年間を振り返ってみた。

◎赤ちゃん時代はとにかくよく泣いてたのん太郎

24時間泣いてたんとちゃう?という日もあった。いわゆる背中センサーは超敏感。しかし、他を知らない私は、赤ちゃんたるものみんなそうなのかと思ってた。はじめて友達になったママさんに「うちの子はベットに置いたらすぐ寝るよ~」と言われた時の衝撃は半端なかった。

◎離乳食

偏食は全くなし、果物を好んで食べ、なんでもよく食べる。食事に関して困ることといえば、食事中の落ち着きのなさ。全部食べきることはできるが、足をぶらぶらさせてみたり、肘をついてみたり、食事マナーに関してはまだまだ課題がのこる。ただし、保育園では、全く手がかからず早い段階で食べ終わるグループに属する。

いつの日か、保育園みたいにやって!と言ったら「それは疲れるからいやだ」と言われたことがあった。外食となると、落ち着いて食べることができる。

◎言葉の発達がとにかく早かった

保育園の先生にもこれはよく言われていたことで、私もこんなに早くしゃべりださないでゆっくりでいいのにと思っていた。

◎ブロックの組み立てやパズル等が得意

保育園の下のクラスの時はパズル遊びなどは、上のクラスから先生がのん太郎のために借りてきてくれていたほどだった。ブロック遊び同様で、3歳には小学生が作るようなブロッグを組み立てていた。

読み書きは年相応で、現在ひらがな・カタカナ・数字の読み書きができ少しづつ本を自分で読めるようになってきた。学習機能面ではおそらく問題はないと思われる。

◎集中力の持続

好きなものには時間を忘れとことん没頭し、長時間かけてでも最後までやりきる力をもっている。その反面、興味がないことに関してのアッサリ具合はどうかと思うほど興味を示さない。

のん太郎がたとえ興味がなくても、話をきかなくてはならない場面はとても苦手。その差が激しい。

◎やりっぱなしがとても多い

お菓子を食べ終わったあとはゴミを捨てる、脱いだ服は洗濯機へ入れる、出したものは元にあった場所にしまう、開けた扉は閉める、などこういう生活面での抜けは非常に多い。何度言っても、何度叱っても怒っても、今のところ改善される見込みがない。

忘れ物も多い。所有物の管理が苦手。

◎何度言っても同じことを繰り返す

結局私の言葉が彼の心に響いていない結果だけど、昨日怒られたことを平気で今日もやってしまう。

◎友人関係

友達は多く、社交的。スイミングスクールなどでは先生たちにも不思議とよく可愛がられている。友達とのトラブルが目立つことはないが、やられたらやり返す精神の持ち主。やられたことを、流すことのできないタイプ。

クラスに一人どうしても合わないお友達がいて、そのママとは仲が良いので子供も交え遊ぶことが多かったが、あまりに喧嘩するので最近は子供抜きで会うことが多くなった。この喧嘩も自分からふっかけることはないが、ふっかけられて流すことができないタイプなので、結局のところ喧嘩へと発展してしまう。

やられたことを軽く受け流すことができない様子。

その他、気の合う友達と喧嘩に発展することは少なくなった。ただ、時折相手が嫌だと思うことをわざと言う時があって、その都度注意するようにしている。保育園ではあまり見られないが、親がいる中で子供同士で遊ぶ場合、たまに見られることがある。

◎習い事 ピアノ

集中できる時とできない時の差が激しい。先生には5歳のピアノのレッスンは似たような場合が多く、その中でも楽譜の進みが早いと言われる。最近、家での練習で全く気がのらない日というのがでてきた。様子をみるようにしている。

◎習い事 水泳

15人ほど一クラスで泳いでいる。順番抜かし等はないが、指示の通りにくさはでているように思える。現在、小学生中学年のクラスに属するが、1人だけ立っている時や、手遊びがやめられない時が目立つ。コーチの話は全く聞いてない。しかし練習中、1対1でコーチに教えてもらえると習得できる。しかし自分からわからないことを聞くことは全くない。

コーチの話を全く聞いていない中で、平泳ぎ・背負泳ぎは4歳児で25m完泳。5歳前半で平泳ぎ25m完泳。現在、バタフライ特訓中。運動神経は水の中のみ良いが、陸では普通。

保育園では全体にむかえた指示が通らないということはないが、年中までは個別での指示をしてもらうことも度々あった。

この水泳の彼の態度は実はとても気になっていた。泳ぎのたびに、全員を招集し泳法の説明をプールサイドでコーチが行うのだが、真剣に聞いている姿をほぼみたことがない。

説明中にトイレに行こうとすることもある。また全員招集の際一番最後に輪に入る。しかし、近い年齢が小学3年生とかになるので、なかなか比べようがないが、それにしてもひどくないか?と思うことがある。

泳力テストなど、指示も入るし、実力を本番で発揮しているからこそ、5歳でバタフライのクラスにいることは承知しているが、それでも泳力テストで進級しなくても、しっかり座って話を聞けることの方が大切なのではないかと、思わずにはいられない。

結局のところ一番大変だと感じることはなんだろう

そしてさらに、のん太郎育児で何が一番大変なんだろうって考えてみた。

なぜ、私はのん太郎のどこにに”育てにくさ”というものを感じているのだろうか。

冷静に考えるとなんとなく一つの答えに行きつく。

それはのん太郎が自分の望むむのが、今すぐに手に入らなかった時の彼の気持ちの鎮静化が大変なんだとたどり着く。やはり最終的にはこれ、気持ちの切り替えができないということ。

一つ前の日記で羅列した、育てにくいと思った彼の行動の特徴。

□やめなさいと言われているにも関わらずすぐにやめることができない。

□自分の意を100%通すまで納得することができない、我の強さ。

□人に譲るということが苦手

その望むものとは・・・

・もっと遊びたいという時間的な欲求

公園から家でへ帰る道のりが大変な時がある。もっと遊びたかったとか、帰るのが早すぎる!などさんざん遊んだにもかかわらず満足を得られていない。

・お菓子などを今すぐに食べたいという物の欲求。

スーパーやおもちゃ売り場では我慢できるものでも、家だと飴玉ひとつ我慢できないことがある。お菓子の時間が決められているにもかかわらず、平気でそのルールを破ろうとする。

彼のその欲求がかなわない時に起こす行動を癇癪というのだろうか。

泣き喚くといよりかは、私にその怒りを全身でぶつけてくる感じで、たとえずっと機嫌がよく過ごせていたとしも、そのスイッチは容易に切り替わる時もある。

「ママ嫌い。ママどっか行って。」

と、言われて

「わかりました。そうするね」

と言い本当に家から出ると泣きわめいて追いかけ来る。

最近は、のん太郎のその怒りを全身でぶつけられることに私がだいぶ疲れと嫌気がさしていてのん太郎の怒りを受け止めようとせず、受け流すようになった。

あめ玉ひとつくらい許せばいいのか、その答えはわからない。

問題は飴玉のようではない気がするからだ。

飴玉ひとつあげない私が悪いのか、それも飴玉ひとつ我慢できないことが悪いのか。

癇癪をおこさないようにするには一つ。彼の欲求をのむことに他ならないが、きっとその欲求は今後大きくなっていくだろうし、絶対的に無理な場面も生じてくるだろうから、それはできない。

育てにくい子って、ADHDなどがあてはまりその子自身がもともと育てにくい子もいれば、

ママ自身のかかわりで育てにくさを助長しているタイプもあるなと。

のん太郎はあきらかに、性格上育てにくさはあるが、それと同じくして、私のかかわりがそうさせているのは自覚している。

可愛かったあの頃に戻るよりも、今はこの何かの試練とも思える日が過ぎ去ってくれる方を私は望む。

私は心からのん太郎を可愛がりたいし、愛したい。しかし、あの癇癪を想像しては、心が折れる毎日である。それでも懸命に、日々過ごし最近は何度か保育園を休ませゆっくりとした時間を過ごしてみた。

何か変わったかと言われれば、変わったようで変わってないようで、私がのん太郎の癇癪を避けている部分もあるので、実際のところはわからない。もっと向き合うべきなんだろうが、難しい時もある。

それに、彼の心の調子が良い時も実際あって、だからこそ受診に至らないまま今日まできたのだと思う。

思い通りにいかなかった時ののん太郎の反抗的態度と、いじけて何を言っても「ふん!」としか言わない時など、愛情があるから育てているというよりかは、今後、どうか生きにくくならないようにと、親の責任の上に子育てをしていることがある。

ただふと思ったことがあった。

文章が長くなってきたので、もう一つの日記へ続きます。

いつもありがとう。

美羽