ADHDの子供を育てるということ

長年勤めてきた職場の退職日が決まる

ご訪問ありがとうございます。みゅうです。

みなさん、連休はいかがお過ごしでしたでしょうか?

あっという間にすぎ、体力とお金を奪われた4連休でしたが

去年に比べると穏やかに有意義に過ごせ楽しい連休となりました。

ちょうど1年前は、私が仕事復帰をしたばかりの中で迎えた連休でした。

のん子(1)はまだ歩けず抱っこばかりで体力的にしんどく

のん太郎(4)は激しい反抗期の真っ只中だったので

叱ることも多く、精神的しんどかった記憶があります。

そんな中、義母もきていたのでなおさらの事・・・。

今年は、義母の訪問はご遠慮して頂き家族だけで過ごし

のん子は2才、のん太郎も5歳になり

兄妹間のコミュニケーションも豊かになり

のん太郎の反抗期は少しずつ少しずつ落ち着きをみせ

体力とお金は奪われたけど気持ちはとても穏やかに過ごせました。

連休中、家族みんなでのん子が生まれて退院した直後、

初めて我が家に来た日のビデオ動画を見ました。

のん子は0歳。のん太郎はまだ3才でした。

のん太郎もパパも、のん子ちゃんが小さくて可愛いと

食い入るようにテレビを見つめていましたが

私は一人、心が苦しかったです。

あの当時の自分に言ってやりたい。

こんなに小さいのん太郎に、どうしてそんなにイライラをぶつけているのって。

のん太郎、おにいちゃんになって妹を受け入れようと必死じゃん!って。

両肩つかんで、揺さぶって、言ってやりたかったです。自分に。

ビデオカメラの映像を見ながら

懐かしい気持ちよりも、のん太郎に対して

申し訳ない気持ちの方が勝り心苦しかったな。

あんなに頑張ってたのん太郎を

もっと受け入れて、言葉で認めてあげたらなって思ったよ。

可愛いのん子の新生児の動画をみて

私、ダメだったなーーーって・・・1人密かに凹んでました。

子どもが”頑張る姿”って

運動会やお遊戯会は目で見てわかるけれど

こうして、心の葛藤があって頑張っている姿って

目に見えない頑張りなわけで

そこを親がもっと理解し、言葉でその心の頑張りを伝え

認めてあげないといけないなと強く強く思いました。

なかなか、難しいーーーー

けど、意識してみようと思う。

私、そういうのすぐ忘れちゃうから

紙に書いて壁に貼っておこうかなぁ。




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さて、今年になり先延ばしにしていた退職日

ようやく決めました。自分でね。(当たり前)

本日、久々に仕事の話です。

お付き合い頂けたら幸いです。

退職を決めたのは去年の秋。

それからも、今の仕事の量は変わらずこなし

自部署の人間からは、辞めなくてもいいよ~とか

もうしばらくいたらいいのに~とか

そんな有難い言葉をもらいまして

実は・・・・

私の”辞める”という決断が少し鈍った時期がありました。(え?)

のん子ものん子で、保育園へ楽しく通う姿を見せてくれるようになり

ずっと泣いてた泣き虫のん子、誰も受け入れず超人見知りのん子が

自分からクラスに入っていく、そんな姿を見て

退職を決めた数か月前には絶対に見られなかった

そんな光景を目の当たりにしたりして

私の都合で、のん子の楽しい場所をなくして良いのかと

悩んでいたこともありました。

(のん太郎は年長クラスなので、制度上そのまま継続通園が可能)

そして何より、ずっと働いていた自分が

実際のところ専業主婦としてやっていけるのかという不安。

きっと、これが一番の大きな大きな不安だった。

私にとって仕事を辞めるということは

仕事を失うという以外に

築いてきた人間関係に、終わりを告げるということ。

ワーママとしてやってきた自分が

子を媒体としていない人間関係を失うって

辞める決めたものの、これが正直一番怖かった。

職場という社会での”自分”は

母親である自分とは別人格なようなもので

それが退職することで突然なくなり

つまり周りからの”私”という人間は

常に”誰かの子の母親”という存在となるではないかと。

テレビやドラマで見るような

ママ友との関係に疲弊してるなんてことも特には無いが

それはもしかしたら、子を媒体としてない人間関係が

私の日常を大きくしめていたからであり

退職しそれを失うことで

私という個人の人間関係の基盤となるものが

子供の母親であることとなり

それが私の日常となったら

また違う感情が生まれるのではないかと

思うことがしばしばあった。

それが、ものすごく怖かった。

色々と考えだしたら、その不安が止まらず

辞めると決めたあの日の、あの気持ちの晴れやかさは陰りを見せ

年が明け、退職のカウントダウンがはじまった頃は

不安と隣合わせだった。

だから、職場の仲間や上司の退職日はいつでもいいよなんていう

その言葉に現実を先延ばしにしていたように思う。

そんな中、4月になりのん子が2才になった。

少しづつ言葉も増え、自己主張もするようになり

それがまた可愛くとても愛おしかった。

のん太郎は年長さんになった。

少しづつ少しづつ、本当に少しづつなんだけど

全身に纏った反抗期とうトゲが何本か抜け落ち

少しやわらかく優しくなった。

やっぱり、今しかない!!

色々考えても、結局のところ子供といると今しかないと思った。

料理をしながらもそう思った。トランプしながらも思ったし

読み聞かせをしながらも思った。

迷い、悩み、決め、そしてまた悩み

それらを何度も繰り返し、やっとふっきれた。

子供の成長を、もう少し時間をかけて見ていきたい。

それに、お金が大変になって家計が回らなくなったら

その時にまた復帰しよう、そう決めた。

子どもが子どもでいられる時間がごくわずか。

ありきたりな言葉が、結局自分の背中を押した。

そしてまた

やめようと決めたあの清々しい空模様の時と同じ気持ちに近づき

やっとやっとね、退職日を決めることができた。

7月31日と決めた。

大きな大きな一歩だった。

退職日を決めなかったのは

私の逃げであったなと、振り返ってみてそう思う。

白衣をぬぐ寂しさもあるし

実際、本当に最後の日になった時

もう後悔はないだろうけど、大きな寂しさはきっとあって

7月31日に自分がどう思うかわからないけど

もう3か月をきった今、後輩を育てることが

私の使命だと再確認できたので

ただただもう突っ走るしかないわけだ。




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少し話がそれるが、1人目育休後の葛藤も

それはそれはとても大きいものだった。

のん太郎の復帰とともに、私はキャリアを捨てた。

室長という管理職も辞退し

24時間フル稼働だった大きな病院の現場を離れた。

当時は、今までやってきたのにという悔しさや

自分が立ち上げた新しい取り組みが

のん太郎の育休明けにはリーダーが変わり、メンバーも変わり

もうバリバリ働いてきた頃の自分に、子供を抱え戻ることはできなかった。

それは時間的にも気持ち的にも無理だった。

今でこそ、もう過去のことでありという

今でこそ、こうして話すことができるけど

あの時は悔しかったな~。うん。悔しかったよ。

悔しい。けど、頑張れなかった。それが現実だった。

そして自分から異動願いを出し

今の職場(病院)へ異動する形をとった。

ここは、バリバリ働いてきた自分とは全く違う環境だったけど

それなりに忙しく、違うやりがいを見つけ

なんだか私もさ(自分でいうのもなんだけど)まるくなった気がする。

あはは(笑)

職場の雰囲気もとても良く

私より5歳下の子が上司となったけど

お互い得意分野も違うせいか関係はとても良く

プライベートでも会うこともあり

異動して、違う世界を知れてよかったと思う。

そして異動した先で2度目の妊娠。

出産を経て、今度はフルタイム勤務という選択をせず

今に至る。時短なんて自分がとるなんて思わなかったよ。

我が子は、人生観まで変えてくる。

何度も葛藤があり、その繰り返しで今があり

その今なんて、仕事までもがあとわずかとなった。

それこそ”バリバリ”という言葉がぴったりな程

働いてきた。楽しかった。ありがたかった。

辞めたあとはまた違う人生が待っているけど

今はそれがまた楽しみになってきた。

とーーにーーかーーくーーーー

子供に依存することなくやっていく!生きていく!

というのが私の課題。ついつい熱くなってしまうので。

(子供の習い事に対してなど、口出しが多くなりそうでそれが怖いw)

子は子。親とは別人格。これ、基本。

あとね、ワーママを経て専業主婦となるわけで

これからも全力でワーママを応援しようと思ってる。

微力ながら、保育園の年長の役員決めなど率先して立候補するつもり。

あとは、一番みなが遠慮したい卒業アルバム制作係になろうと思ってる。

それからね、小学校入学後も色々と当番があるのだけど

それにも積極的に参加して、クラスのお友達のワーママさんが

少しでも少しでも有給を使わないでいられるよう

微力ながらの協力したいと思ってる。

ワーママの気持ちを忘れずに

いつまでとなるかわからない専業主婦生活を楽しみ

充実して、やっていくことがモットーです!!!

いつもありがとう。

美羽